トランプ政権と日本・アジア 2017

米国株や為替に影響する時事問題を中心に政治動向をウォッチ。今さら聞けない常識も再確認。

【安倍内閣改造】閣僚の経歴一覧 

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(画像出所:第3次安倍第3次改造内閣 閣僚等名簿 | 首相官邸ホームページ ※以下全て同じ)

  内閣改造が行われ、8月3日には第3次安倍晋三第3次改造内閣が発足します。

 舌をかみそうな言いにくさですが、新内閣の19人の閣僚には何が期待できるのでしょうか。

 政権に支持率回復をもたらすだけのパワーがあるのでしょうか。

 安倍首相は新内閣を「結果本位の『仕事人内閣』」と評し、「幅広い人材を糾合し、国民のため、しっかりと仕事に専念できる態勢を整えることができた」と述べました。「最優先事項は経済再生だ。経済を好循環させ、デフレ脱却をなしとげる。アベノミクスをさらに加速させる」とも述べています。

 そして、新外相の河野太郎氏に対して、歴史認識が自分と「完全に一致している」とし、野田聖子総務相に対しては「耳の痛い話もしっかりと直言してくれる」と評価しています(産経ニュース〈安倍晋三首相、信頼回復へ「仕事人内閣」〉2017/8/3)。

 まずは、この新内閣を構成する19人の閣僚の顔ぶれを見ていきたいと思います。

(※追記:内閣改造後、8月3~4日の世論調査では安倍政権は支持率が35%~45%に回復しましたが、不支持率は4割台にのぼるため、未だ安倍政権の前途には暗雲が漂っています)

  • 読売:42%(+6%)
  • 毎日:35%(+9%)
  • 朝日:35%(+2%)
  • 日経+テレビ東京:42%(+3%)
  • 共同通信:44.4%(+8.6%)

副総理兼財務相:麻生太郎(留任)

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 正式な大臣の役職名は「財務大臣 内閣府特命担当大臣(金融)デフレ脱却担当」。

 麻生太郎氏は1940年9月20日、福岡県飯塚市にて麻生家の長男として生まれます(現76歳)。

 麻生氏の祖父は吉田茂首相です。吉田家の娘が九州財界の実力者である麻生太賀吉氏(麻生鉱業社長、麻生セメント社長、九州電力会長。衆議院議員でもある)に嫁いだわけです。

 麻生氏も安倍首相と同じく世襲議員なのですが、本人はそう見られたくないのか、麻生氏HPのプロフィールでは、このあたりの話が出てきません。

 麻生氏は安倍首相の盟友ですが、7月に麻生派が党内第二派閥となり、キングメーカーを狙っているとも見られています。

 現在、自民党内で麻生派を率いる麻生太郎氏の経歴は以下の通りです。

  • 1963年:学習院大学政経学部卒業
  • 1966年:麻生産業株式会社入社
  • 1973年:麻生セメント株式会社の代表取締役社長(28~59歳)
  • 1978年:日本青年会議所会頭を務める
  • 1979年:49歳で衆議院議員に初当選(現当選回数は12回。福岡8区)
  • 1988年:文部政務次官
  • 1992年:自民党外交部会長(~93年)
  • 1993年:自民党副幹事長(~95年)
  • 1996年:経済企画庁長官(~97年)。56歳で閣僚入り
  • 1998年:衆院財政構造改革特別委員長
  • 2001年:経済財政政策担当大臣
  • 2001年:自民党政調会長(~03年)。61歳で党三役に
  • 2003年:総務大臣(~05年)
  • 2005年:外務大臣(~07年)
  • 2007年:自民党幹事長(~08年)
  • 2008年:自民党総裁(~09年)。
  • 2008年:内閣総理大臣(~09年)68歳で首相に。
  • 2012年:副総理兼財務大臣兼金融担当大臣。

 政治家人生の中では、経済閣僚のキャリアが長いようです。

 若いころから海外経験が豊富なのを活かし、外交畑でも仕事をしています。経済の要職をおさえ、外務大臣を経験するのは首相を目指す常道でもあるので、わりとオーソドックスなキャリアを積んできたとも言えます。

 麻生氏と安倍首相で立場が違うのは、財政再建と消費税増税についての考え方です。

 安倍首相は「景気回復のために増税延期も辞さず」というスタンスですが、麻生首相は「財政再建のために増税は必要だ」というのが基本路線です。

 そのため、安倍政権が途中で倒れれば、麻生氏の影響力が拡大し、この違いが明確になってくるでしょう。

 麻生氏が首相に返り咲いたり、麻生氏の影響力拡大に乗じて消費税増税が強行されたりする可能性が高まるわけです。

 ただ、麻生氏もサブプライムショック後の不況に対しては企業への資金融通や大規模な財政出動を打っており、景気対策を重視していました(筆者としては、08~09年の経済の状況で消費税8%(以上)への増税を言い出す人の考え方を理解しかねるのですが)。

 外交面では日米同盟の堅持が基本スタイルです。”安全パイ”を抑えつつ、インドやオーストラリア等、周辺の自由主義諸国との関係強化を目指す方針です。麻生氏は05年~09年頃、「自由と繁栄の弧」という外交戦略を掲げ、アジア各国との関係強化を目指していました。

官房長官:菅義偉氏(留任)

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 安倍政権の「番頭」と目される菅氏の経歴を見てみます。

 菅氏は1948年12月6日に秋田県で生まれました(現68歳)。

 1973年に法政大学法学部を卒業し、同年に建電設備に就職。2年後には衆議院議員秘書となりました。

 84年に通産大臣秘書官となり、87年に横浜市議会議員に当選。1996年に衆議院議員として初当選しました(以後、7回当選)。

 政治家としての経歴は以下の通りです。

  • 2000年:自民党総務 
  • 2002年:国土交通大臣政務官
  • 2003年:経産相政務官
  • 2005年:総務副大臣に就任
  • 2006年:総務大臣として初入閣(58歳)
  • 2007年:自民党選挙対策総局長
  • 2011年:自民党組織運動本部長
  • 2012年:自民党幹事長代行 
  • 2012年:内閣官房長官・国家安全保障強化担当大臣に就任
  • 2014年:内閣官房長官・沖縄基地負担軽減担当大臣

 沖縄では普天間を巡って安倍政権VS翁長知事とのバトルが続いているので、総理の代理を務める菅氏が離任するのは困難な情勢です。

 加計学園問題では「怪文書」発言で失言をしてしまいましたが、結局、その役職は動かず、留任となりました。

 内閣官房は各省庁間の調整業務を担うだけでなく、各省庁の人事権を握り、睨みをきかせることができます。

(※当ブログ関連記事:「内閣官房長官の仕事とは 気になる官房機密費(報償費)の用途」2017/8/4)

総務相兼女性活躍担当相:野田聖子(元自民党総務会長)

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 野田聖子氏は1960年9月3日に福岡県福岡市に生まれました(福岡は父親の転勤先。現56歳)。

 田園調布雙葉高等学校を中途退学し、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを1983年に卒業。その後、帝国ホテルに入社します。1984年に祖父・野田卯一(経済系閣僚を歴任した有力政治家)の養子となり、野田姓を名乗るようになりました。

 その後の経歴は以下の通りです(自民党内では無派閥です)。

  • 1987年:岐阜県議会議員選挙当選(最年少当選。当時、26歳)
  • 1993年:衆院選で初当選(その後、岐阜1区で連続8回当選)
  • 1996年:郵政政務次官(26歳)
  • 1998年:郵政大臣として閣僚入り(38歳)
  • 2005年:郵政民営化に反対し、自民党を離党(その後、第一次安倍内閣で復党)。
  • 2008年:内閣府特命担当大臣・消費者行政推進担当大臣・宇宙開発担当大臣に就任
  • 2012年:自民党総務会長(52歳で党三役入り)
  • 2016年:衆院災害対策特別委員長、自民岐阜県連会長(現職)。

 2015年9月には自民党総裁選立候補に意欲を示し、「日本の総理大臣を無投票で決めることは、国民を馬鹿にしている」「義を見てせざるは勇なきなり」と述べ、立候補を目指しましたが、立候補に必要な推薦人(20人)が集まりませんでした。

 その主張は必ずしも間違いではありませんが、筆者が気になったのは、野田氏の政策がやや曖昧なことです。

 同氏HPを見ると「チーム力」「潜在力」「生命力」「外交力」「民主主義力」の五項目を挙げ、政策を割り振っているのですが、わりと抽象度の高い言葉が多いように思います(そのほか、同氏には体外受精で男児を出産し、少子化対策に力を入れる政治家という一面もある)。

 安倍首相が、今回、野田聖子氏を閣僚入りさせたのは、「お友達内閣」批判の封印や、反対派へ配慮し、「安倍おろし」をさせないこと、男女の機会均等重視のアピール等の理由が考えられます。

 総務省が管轄する情報通信政策には、テレビ放送を流す「常時同時配信」やNHK受信料の問題(テレビを持たない世帯へのネット受信料の徴収)、携帯電話の料金設定の問題など、懸案事項が山積みになっています。

 野田氏は3日の記者会見では、2018年9月に予定された自民党総裁選に出馬する意向を示しています。これは「総務省で働くのは、その時まで」ということを意味しています。

法相:上川陽子(元法相)

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 上川陽子氏は1953年3月1日に静岡市に生まれました(現64歳)。

 東大(国際関係論)を卒業後、三菱総合研究所研究員を経て米国に留学しました。ハーバード大学大学院(政治行政学修士)に留学し、米上院議員の政策立案スタッフとなり、大統領選にも参加しています。帰国後、政策コンサルティング会社を設立しました。上川氏は47歳の時に初当選し、自民党内では岸田派に所属しています。

  • 2000年:衆院選で初当選(静岡1区。当選5回)
  • 2005年:総務大臣政務官
  • 2006年:53歳で自民党政務調査会副会長に就任
  • 2007年:54歳で閣僚入り。特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画、食育、青少年育成)に就任。
  • 2008年:初代公文書管理担当大臣
  • 2009年:厚生労働委員会理事
  • 2013年:自民党総務会副会長に就任
  • 2013年:総務副大臣に就任
  • 2014年:自民女性活躍推進本部長に就任
  • 2014年:法務大臣に就任
  • 2016年:自民女性活躍推進本部長・自民党司法制度調査会長に就任

 上川氏は、長らく自民党の女性活躍推進に尽力してきました。

 2007年に第一次安倍政権で抜擢され、初閣僚入りした後に「ワーク・ライフ・バランス憲章及び行動指針」を策定しています。

 これは、上川氏が政治家になった理由である「アメリカ留学時代に海外から日本を眺め、改革の必要性を痛感したこと」と関係があるのかもしれません。

 重視している政治家は大久保利通。今の日本の基盤を築いた中心人物を「乗り越えるべき政治家」「尊敬すべき無私の政治家」と評しています。

 上川氏は政策通としても評価されており、最近では債券規定を見直す民法改正や、刑事司法改革に取り組みました。また、自民党の憲法改正推進本部の事務局長として秋にまとめる改憲案づくりにも携わってきました。

外相:河野太郎(前行政改革担当相)

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 河野太郎氏は、1963年1月10日に神奈川県平塚市に生まれます(現54歳)。

 父親は内閣官房長官等を務め、「河野談話」を残した河野洋平氏です。

 河野氏は慶応義塾の中等部⇒高校⇒ 大学(経済学部)を卒業。ジョージタウン大学やポーランド中央計画統計大学(ワルシャワ市)でも学んでいます。

 23歳の頃に富士ゼロックス株式会社に入社し、在宅勤務やサテライトオフィスの実験を担当。

 その後シンガポールに赴任し、30歳の頃には日本端子株式会社に転職しました。ここでは電気機器の部品の開発や海外輸出を担当しています。

 33歳で初当選し、自民党内では麻生派に所属しています。経歴は以下の通りです。

  • 1996年:衆院挙(神奈川第15区)で初当選。その後、7回当選。
  • 2002年:総務大臣政務官
  • 2004年: 議員立法で出した消費者基本法や特定船舶入港禁止法が成立
  • 2004年: 第九代自民党神奈川県連会長に就任(~07)
  • 2005年:法務副大臣(~06年)
  • 2008年:衆議院外務委員長(~09年)
  • 2009年:議員立法で出した臓器移植法改正案が成立
  • 2009年: 自民党総裁選挙で次点
  • 2015年:国家公安委員会委員長、特命大臣(行政改革担当)に就任
  • 2016年:一般職職員給与法改正案、特別職職員給与法改正案、特定商取引法改正案、消費者契約法改正案(閣法)成立に尽力。

 自民党の行政改革推進本部長を務め、予算カットに辣腕をふるったので、官僚からは野党議員以上に恐れられました。衆議院では消費者問題特別委員会筆頭理事も務めています。

 同氏が外務大臣になったのは「河野談話の見直し等は行わない」という安倍政権の意思表示にも見えます。

 南スーダンPKOに関する「日報問題」では廃棄済とされたデータの存在を認めさせました。

(※当ブログ関連記事:「河野外相と安倍首相の歴史認識 一致していることが問題では」2017/8/4)

防衛相:小野寺五典(自民党政調会長代理)

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 小野寺五典(おのでらいつのり)氏は1960年5月5日に宮城県気仙沼市で生まれました。

 地元の宮城県気仙沼高校を卒業し、東京水産大学水産学部海洋環境工学科を卒業。1994年に東大大学院法学政治学研究科を修了しています。現在は自民党政調会長代理や東日本大震災復興加速化本部の副本部長等を務めているようです。

 経歴を見ると、1983年~1990年まで宮城県職員(水産資源研究等を担当)を務め、90年に松下政経塾(11期生)に入っています。1994年に東北福祉大学の専任講師になり、助教授⇒客員教授へとキャリアを重ねました。

 1997年に衆議院宮城6区補選で初当選を果たし(その後6回当選)、自民党内では岸田派に所属しています。

 その後、留学をしたり(米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所 客員研究員)、学園理事長(学校法人増子学園)をしたり、特任教授(東北福祉大学)を務めたりと学歴も上乗せしています。

  • 2004年:外務大臣政務官(~05年)
  • 2005年:自民党外務委員会理事、外交部会会長代理等
  • 2007年:外務副大臣(~08年)
  • 2012年:沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長(衆院)
  • 2012年:自民党宮城県連会長
  • 2012~14年:防衛大臣
  • 2014年:東日本大震災復興加速化本部副本部長等
  • 2015年:自民安保委員会筆頭理事/政務調査会会長代理等

 国会答弁をそつなくこなす力量を買われ、日報問題で炎上した稲田氏の後始末を引き受けることになりました。

 結局、安倍政権発足時に最初に防衛相を務めた小野寺氏がふたたび登板したのは、それだけ、首相の信任が篤いということなのでしょう。

(※当ブログ関連記事:「集団的自衛権の行使」で北朝鮮ミサイルを撃墜? 勇ましい議論に内実はあるのか 2017/8/11)

文部科学相:林芳正(元農林水産相)

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 林芳正(はやしよしまさ)氏は1961年1年1月に東京都で通産省の役人である林義郎氏の長男として生まれました(現56歳)。

 しかし、9歳の頃に林義郎氏の衆院立候補のために下関市に引っ越ししています。そのため、林芳正氏は下関市で小学校から高校にまで進学し、1984年に東大法学部を卒業しました。

 その後、三井物産株式会社、サンデン交通、山口合同ガスへと転職を重ねます。

 そして、1991年1月に渡米し、ハーバード大学政治学大学院特別研究生になります。この年に米議員2名のスタッフとして、ワシントンDC等で勤務。

 92年にハーバード大学ケネディ行政大学院に入学しましたが、大蔵大臣政務秘書官に任命されたことで、大学を休学して帰国。93年(32歳)の頃に国会議員政策担当秘書資格試験に合格。その後、33歳でハーバード大学ケネディ行政大学院同大学院を卒業。

 94年に衆議院議員の林義郎氏(父)の政策秘書を務め、95年に山口県選挙区から初当選しました(4回当選)。自民党内では岸田派のナンバー2を務めています。

 父の跡をつぐまでに結構、手がかかっている感じがしますが、そのあたりの経験が、現在の多才な仕事にも反映されているのかもしれません。

 政治家としての経歴は以下の通りです。

  • 1997年:自民党・参議院副幹事長
  • 1998年:参議院予算委員会理事
  • 1999年:大蔵政務次官
  • 2004年:外交防衛委員会委員長
  • 2006年:参議院議院運営委員会筆頭理事
  • 2006年:内閣府副大臣
  • 2007年:参院予算委員会筆頭理事
  • 2008年:防衛大臣として閣僚入り(47歳)
  • 2009年:内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)
  • 2009年:自党政調会長代理
  • 2010年:参議院自民党議員副会長
  • 2012年:自民党総裁選に立候補
  • 2012年:自民党総務 自民党外交経済連携調査会 会長
  • 2012年:農林水産大臣(~15年まで)
  • 2014年:自民党 税制調査会副会長

 参加した委員会は幅広いので割愛しています。

  議院運営委員会・商工委員会・国際問題に関する調査会、行財政改革・税制等に関する特別委員会、財政・金融委員会・議院運営委員会・行財政改革・税制等に関する特別委員会・国際問題に関する調査会、経済活性化及び中小企業対策に関する特別委員会、参議院予算委員会、財政・金融委員会 、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会・・・。活動領域が非常に広い政治家です。

 自民党内の重要政策の調整役を果たし、抜群の安定感を誇っていますが、その反面、「便利屋」的になっているとも言われています。

厚生労働相兼拉致問題担当相:加藤勝信(前1億総活躍担当相)

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 加藤勝信(かとうかつのぶ)氏は1955年11月22日に生まれました(現61歳)。

 1979年に東京大学を卒業し、その後、大蔵省に入省。その後、郵政省に出向したり、税務署で仕事をしたり、内閣官房副長官(政務)秘書官したりと活動の幅を広げました。

 1991年以降、大蔵省主計局主査(労働予算担当)となり、92年には防衛予算を担当しました。

 1994年に農林水産大臣秘書官を務め、95年に大蔵省を大蔵官房企画官として退省しました。

 その後、加藤六月衆院議員の秘書等の仕事を経て、二回の立候補に落選し、2003年に衆議院議員に初当選(自由民主党:中国比例ブロック)しました。その後、五回当選し、現在の選挙区は岡山5区です。

 自民党内では額賀派に属し、以下の経歴を刻んでいます。

  • 2007年:内閣府官房副長官
  • 2010年:自民党副幹事長
  • 2012年:内閣官房副長官
  • 2014年:内閣人事局長
  • 2015年:一億総活躍担当相/特命担当(少子化対策および男女共同参画)大臣

 16年以来、「働き方改革」を担当し、時間外労働への罰則付き上限規制の導入のために実行計画を取りまとめてきました。

 加藤氏は経済と社会保障分野に強みがあると言われていますが、「一億総活躍担当・・・」の担当は広すぎて何が何やら、もはや分かりません。「一億総活躍担当、拉致問題担当、女性活躍担当、再チャレンジ担当、国土強靭化担当・・・」と多様な分野がつづられています。

 議員としての所属委員会も幅広いので、多才な方なのでしょう。  

農林水産相:斎藤健(元農林水産副大臣)

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 このたび初入閣を果たした斎藤建氏の経歴を見てみます。

 斎藤氏は石破派所属の議員(当選3回)なので、その人事にはいわゆる「お友達内閣」批判への配慮も含まれているのかもしれません。

 1959年6月には東京都新宿区で生まれ、東大経済学部を卒業し、1983年に通商産業省(現経済産業省)に入省しました。

 資源エネルギー庁石油部流通課や通商政策局米州課で日米自動車交渉を担当。1999年に通商産業大臣秘書官に就任。内閣官房行政改革推進事務局企画官を経て、2004年に上田清司埼玉県知事に招かれて埼玉県副知事となりました。

 初当選は2009年です。それまでは千葉七区で民主党に二回ほど敗れています。09年は重複立候補した比例南関東ブロックで復活当選を果たしました。

 13年の参院選後に党のポスト志望調査に「困難な仕事」とだけ書いたら、TPP交渉に反対する農林関連の団体に対応する農林部会長に指名され、農業に詳しくなりました。

 2012年、14年の選挙に勝ち、15年に農林水産副大臣となっています。

 斎藤農相には、日欧EPAの発効に向けた農業政策の具体化が求められています。欧州の農産品が入ってくるので、酪農家への支援等が要望されているのです。       

経済産業相:世耕弘成氏(留任)

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 世耕弘成(せこう ひろしげ)氏は1962年11月9日に大阪で生まれました(現54歳)。しかし、同氏の選挙区は和歌山県です。

 世耕氏は1990年に早稲田大(政治経済学部政治学科)を卒業し、日本電信電話株式会社に入社します。そして、92年には米国ボストン大学コミュニケーション学部大学院を修了。

 1996年には日本電信電話株式会社で広報部報道担当課長になっています。

 自民党内でも前職の経験を活かし、メディア戦略や広報活動強化に取り組んでいました。

 細田派に属し、以下のような経歴を重ねてきました。

  • 1998年:参院和歌山県選挙区補欠選で初当選(46歳の頃。その後4回当選)
  • 2003年:総務大臣政務官
  • 2005年: 参院総務委員長
  • 2006年: 内閣総理大臣補佐官
  • 2010年:自主幹事長代理(党本部・参議院兼務)
  • 2012年:政調会長代理。
  • 2012年:内閣官房副長官(~16年)
  • 2016年:経済産業大臣(産業競争力担当、ロシア経済分野協力担当、原子力経済被害担当)
  • 2016年:内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)

 活動分野が幅広いのですが、やはり、今の懸案事項はロシアとの経済協力活動です。これを手放せないのは、日露交渉には継続性が必要で、途中からの選手切り替えが難しいためだと思われます。

 ロシアとの交渉のために情報漏洩の防衛を徹底し、経産省内の全執務室にカギをかけることを命令したことが最近は話題に上りました。批判を浴びましたが、これは、外交交渉上、しかたがないのも事実です。 

 世耕氏はロシア外交の窓口を務めているので、退任するわけにもいかなかったのでしょう。

国土交通相:石井啓一氏(留任)※公明党

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 石井氏は1958年3月20日に東京都で生まれました(現58歳)。

 1981年に東大工学部を卒業し、同年に建設省(当時)に入省。1993年に建設省を道路局課長補佐として退職しました。その翌年から政治家としての人生が始まります。

  • 1994年:衆院選初当選(36歳。その後、8回当選)
  • 2003年:財務副大臣(~平成16年)
  • 2015年:国土交通大臣(~現在)

 人生のあゆみがまことにシンプルです。

 工学部⇒建設省⇒議員として、国土交通・公共事業等の部門で頭角を現す。⇒国土交通大臣

 経歴を見ると、力を絞り込んだことが成功の秘訣だったのかなと思います。 

 入閣前は公明党で政調会長を5年務めた政策通でもあります。

 2年前に就任して以来、外国人観光客を増やすことに尽力しています。

環境相:中川雅治(元自民党総務会長代理)

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 中川氏は1947年2月22日に東京都に生まれました(現70歳)。

 1969年に東大法学部を卒業。同年に大蔵省(現財務省)に入省。1974年に徳山税務署長を務め、85年に東京国税局調査第一部長、90年(43歳)で大蔵省主計局主計官(文部、科学技術・文化担当)を務めます。

 1977年には出張時に全日空ハイジャック事件に直面し、他の乗客とともに犯人を取り押さえるという武勇伝を残し、警察に表彰されました。

 その後、理財局国債課長、理財局総務課長、福岡国税局長、国税庁調査査察部長、理財局次長、理財局長を務め、環境省総合環境政策局長となり、2002年に環境省事務次官になりました。

 2004年には政治家を目指し、参院選「東京選挙区」で当選します(3回当選)。

  • 2007年:自民党環境部会長
  • 2008年:参議院文教科学委員長
  • 2010年:参議院沖縄・北方問題に関する特別委員長
  • 2011年:自民党政調会副会長
  • 2013年:参議院国家安全保障に関する特別委員長
  • 2014年:参議院議院運営委員長
  • 2015年:自民党総務会長代理
  • 2016年:参議院自民党議員副会長

   政治家になる前は大蔵省と環境省でキャリアを重ね、地球温暖化対策のスペシャリストとなりました。

 2004年の北海道洞爺谷サミットでは、党環境部会長として政府との調整に当たっています。

 環境省で事務次官をしていた経験が買われたのか、この度の人事となりました。

   69歳にして初閣僚入りです。 経歴を見ると、政治家になってから後のほうが外交や安保も含めた幅広い領域での活動になっています。 派閥は細田派に属しています。

復興相:吉野正芳復興相(留任)

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 吉野正芳(よしの まさよし)氏は1948年8月8日に福島県いわき市に生まれました(現68歳)。

 早稲田大(商学部)を1971年に卒業し、同年に吉野木材株式会社に入社。1987年に福島県議選で初当選。県議を3期務め、福島県議会農林水産委員長等を務めます。

 2000年(52歳頃)に衆議院議員(福島5区)となりました。その後、6期当選を続けています。

 当選後、厚生労働部会や農林水産部会等に仕事をし、細田派に属しています。

  • 2005年:文部科学大臣政務官 
  • 2008年:環境副大臣(~09年)
  • 2011年:自民党環境部会長 
  • 2012年:衆院環境委員長 
  • 2013年:自民党地方組織・議員総局長 
  • 2014年:衆院原子力問題調査特別委員長 
  • 2014年:衆院東日本大震災復興特別委員長
  • 2015年:復興・福島原発事故再生総括担当大臣

  現在は地元・福島を含めて、東北復興の事業を担っています。 震災時からずっと福島で活躍してきた「復興命」の政治家です。

国家公安委員会委員長兼国土強靱化担当相:小此木八郎

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 小此木八郎(おこのぎはちろう)氏は1965年6月22日に神奈川県横浜市に生まれました(現52歳)。

 玉川大学の文学部を卒業後、1989年に父である小此木彦三郎(衆議院議員。建設相や通産相等を歴任)の秘書を務めました。

 そして、91年に彦三郎が死去し、92年からは渡辺美智雄氏(衆議院議員)の秘書となりました。

 93年に父の地盤である旧神奈川1区(定数4)にて衆院選で初当選しています(現在7回当選)。

 自民党内で派閥には属していません。

  • 1999年:文部政務次官
  • 2000年:衆議院議事進行係
  • 2002年:自民党政調会副会長
  • 2003年:衆議院安全保障委員長
  • 2004年:経済産業副大臣(歴代最年少)
  • 2005年:自民党副幹事長
  • 2009年:衆院選落選。比例復活ならず。
  • 2012年:衆院選当選。国政復帰。石破茂幹事長の下で副幹事長(筆頭)に。
  • 2016年:自民党神奈川県連会長

 長く国会対策での与野党折衝等を担いました。政策面では安全保障や治安、公共事業等に関心が深いようです。

 以前の国会では、改正組織犯罪処罰法(テロ等準備罪法)の成立に尽力しました。 

沖縄北方担当相:江崎鉄磨(元国土交通副大臣) 

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 江崎鉄磨(えさきてつま)氏は1943年に愛知県一宮市に生まれました。

 地元の一宮高等学校を出て、立教大(文学部教育学科)を卒業。1967年~70年までは少林寺拳法開祖・宗道臣の秘書を務める等、異例の経歴を持ち、現在は財団法人日本武道館評議員を務めています。

(※本人HPによれば少林寺拳法四段の腕前とのこと)

 江崎氏は1971年(28歳頃)から1993年まで江崎真澄衆議員(父)の秘書を務め、地元では一宮サッカー連盟会長や学校法人一宮女学園(現:修文学院)理事等を歴任します。

 1993年に父の地盤を継いで自民党から衆議院議員に初当選(愛知10区、6回当選)を果たし、その後、新進党⇒自由党⇒保守党を巡り、自民党に戻りました。

 江崎氏は二階派を事務総長として支えてきました。

 長らく二階幹事長とともに政治人生を歩み、以下のような経歴を重ねています。

  • 2000年:衆議院・国家基本政策委員会理事
  • 2000年:外務総括政務次官
  • 2005年:国土交通副大臣(~06年)
  • 2012年:自民党 情報調査局長(~13年)
  • 2013年:自民党 災害対策特別委員長
  • 2013年:衆議院・法務委員長(~14年) 

経済再生担当相兼人づくり革命担当相:茂木敏充(元自民党政調会長)

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 茂木敏充(もてぎとしみつ)氏は1955年10月7日に栃木県足利市に生まれました(現61歳)。

 栃木県立足利高を卒業し、1978年に東大を卒業。78年から80年まで丸紅に勤務。83年にはハーバード大の大学院を修了(公共政策)。

 その後、読売新聞社政治部記者やマッキンゼ-社コンサルタントを務め、1993年(38歳頃)に衆議院議員に初当選します(栃木5区で8期連続当選)。現在、額賀派に属しています。

  • 1999年: 通商産業政務次官
  • 2002年:外務副大臣
  • 2003年:沖縄・北方、科学技術、IT担当特命大臣で閣僚入り。
  • 2007年:衆院厚生労働委員長
  • 2008年:金融・行改担当大臣
  • 2009年:自民党栃木県連会長/幹事長代理
  • 2010年: 自民党広報本部長
  • 2011年: 自民党政調会長
  • 2012年:経済産業大臣
  • 2014年:選挙対策委員長
  • 2016年:自民党政調会長

 自民党幹部として政調会長や選対、広報本部長等を歴任しています。

 経産相時代には電力制度改革に、党政調会長時代には天皇退位のための皇室典範特例法や党則改正に取り組みました。

 茂木経済財政・再生相はTPPやRCEPの交渉を担当します。

 3日の記者会見では米国抜きの11カ国TPPの成立に関して「スピード感をもって各国と緊密に連携して議論を前進させたい」と述べています。

 政策通として知られており、現在61歳なので、今後も大臣や党幹部として要職を占めていくことになりそうです。

1億総活躍担当相:松山政司(元参院自民党国対委員長)

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 松山氏は1959年に福岡県椎田町に生まれました。父は福岡県議会議員の松山譲氏です。明治大学を卒業後、88年に福岡青年会議所(福岡JC)に入会し、96年に福岡青年会議所理事長に就任。99年には日本青年会議所会頭に就任。

 自民党内では岸田派に属し、以下のような経歴を重ねてきました。

  • 2001年:参院選で福岡県選挙区にて初当選(その後3回当選)。
  • 2008年:自民党副幹事長に就任。
  • 2011年:東日本大震災復興支援ではNPO法人「国境なき奉仕団」の団長を務め、ボランティア活動に尽力。
  • 2012年:外務副大臣に就任
  • 2013年:自民福岡県連会長
  • 2016年:参院自民国会対策委員長

 日露関係の強化に長年、携わっており、ロシアに独自の人脈を持っています。

 最近は、統合型リゾートを推進するためのカジノ解禁法の成立に尽力しました。

地方創生担当相:梶山弘志(元国交副大臣)

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 梶山弘志(かじやま・ひろし)氏は有名な梶山静六議員の息子です(今の若い人は知らないと思いますが、90年代に小沢一郎氏とバトルをしていた方の一人)。

 1955年に梶山家の長男として茨城県常陸太田市に生まれ、地元で進学し、その後、日大法学部法律学科に進学。79年に動力炉核燃料開発事業団(現:日本原子力研究開発機構)に入社。1985年に退職し、梶山静六氏の秘書を務めます。

 1988年に起業し、「中小企業経営者として、実社会からの視点を政治に反映させることの必要性を感じ、立候補を決意」したと述べています。

 2000年に衆院総選挙で(茨城4区)で初当選。現在は6期目です。

  • 2006年:国土交通大臣政務官
  • 2009年:自民党副幹事長
  • 2010年:党広報戦略局長
  • 2011年:党政調副会長
  • 2012年:党経理局長。国土交通副大臣
  • 2014年:衆院災害対策特別委員長。

 52歳なので、国会議員としては「若い」ため、可能性はありそうですが、自民党内では無派閥です。 

五輪相:鈴木俊一氏(元環境相) 

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 鈴木俊一は1953年4月13日に生まれました。この人は鈴木善幸首相の息子です。早稲田大を卒業し、全国漁業組合連合で勤務。

 1990年に衆議院議員として初当選しました(岩手2区で8期当選)。長年、小沢一郎氏の影響が強い岩手県で自民党の議席を守ってきています。

 東日本大震災の被災地選出議員とともに3月11日を「大震災の日」とする法案をまとめました。

 自民党内では麻生派に属し、以下の経歴を重ねてきました。

  • 1994年:党水産部会長
  • 1996年:厚生政務次官
  • 2002年:環境大臣
  • 2006年:党社会保障制度調査会長
  • 2007年:国民健康保険中央会会長
  • 2008年:党党紀委員長
  • 2010年:外務副大臣
  • 2014年:党東日本大震災復興加速化本部副本部長
  • 2014年:党地方創生実行統合本部筆頭副本部長
  • 2015年:党総務会 副会長
  • 2015年:党総務会 会長代理
  • 2015年:党財務委員会 委員長
  • 2017年:衆院東日本大震災復興特別委員会 委員長

  震災復興と総務会の経歴がやや目立っています。党捕鯨議員連盟会長として捕鯨の必要性を訴えるなどの仕事もしています。