トランプ政権と日本・アジア 2017

米国株や為替に影響する時事問題を中心に政治動向をウォッチ。今さら聞けない常識も再確認。

小池都知事の経歴から、その「野心」を読み解く

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(出所はWIKI画像。東京商工会議所ビル。今回は週刊誌的なタイトルですが、ここで言う「野心」は価値中立的な意味です)

  7月2日の都議選は都民ファーストの会の大勝に終わりました。

 議席数127の内訳は以下の通りです。

  • 都民ファーストの会:55(選挙前6)
  • 公明党:23(選挙前22)
  • 民進党:5(選挙前7)
  • 共産党:19 (選挙前17)
  • 自民党:23(選挙前57)
  • 都民ネットワーク:1(選挙前3)
  • その他:1(選挙前5)

※確定投票率は51.27%(前回43.5%)。

  小池陣営は世論調査の数字を超える大勝利です。都民ファーストの会と公明党だけで78議席を占めたのですから。

 自民都連のほうでは、歴史的大敗の責任を取り、下村博文氏は辞意を表明しました。

 「さあ、これで古い政治が終わり、新しい政治が始まるんだ。都民に見えない政治が終わり、都民ファーストの政治が始まるんだ。予算の無駄遣いが終わり、ワイズスペンディングがなされる・・・」

 小池陣営は、こんなことを言っていますが、何か空々しく思えてしかたがありません。

 筆者は、芝居を見せられているような気がして仕方がないのです。今回の勝利によく似ているのは、2009年の民主党の政権交代です。

 09年の標語は自民党からの「政権交代」。当時、民主党代表だった鳩山由紀夫氏の支持率は7割程度。マスコミはひたすら麻生政権の失態を書き立てていました。

 今回、都政では、都民ファーストの会と公明党への「政権交代」がなされました。朝日新聞(6/26)の調査によれば小池氏の支持率は59%。マスコミは昨年以来、自民都連等を悪役に仕立ててきました。

  筆者には、豊洲の盛り土、豊洲での汚染物質の検出、百条委員会などの報道は空騒ぎに見えたのですが、マスコミの報道が功を奏し、都議会を占める議員が入れ替わりました。

 今後の小池都政の展開は未知数ですが、対決の構図とマスコミ主導の選挙である点はよく似ています。

 ただ、筆者の感想だけを延々と並べても裏付けのない主観的意見にすぎないので、今回は、小池氏の経歴や過去の主張を振り返り、現在に似た局面で小池氏がどう動いたかを検証してみます。その上で、今後、都民ファーストの会と各党の関係の未来図がどうなるか、小池氏にどんな野心があるのかを推測してみます。 

小池百合子都知事の経歴 

 小池百合子氏(1952年7月15日生)は1971年にエジプトへ留学し、カイロ大学を卒業後、通訳となります。

 若いころは、日本テレビ『竹村健一の世相講談』(1979~1985年:アシスタントキャスター)やテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』(1988~1992年:メインキャスター)等で活躍しました。

日本新党時代:細川護熙氏をかつぐ

 その後、1992年の参院選で細川護熙氏(前熊本県知事)がつくった日本新党から出馬(比例区)して初当選。この頃、小池氏は「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」と述べていました。

 当時は、リクルート事件や佐川急便事件等が起き、金丸信氏が逮捕され、汚職を正す「政治改革」が叫ばれていました。これに対して、小池百合子氏が参加した日本新党は「金権政治」を払しょくし、「クリーンな政治」をもたらすことを旗印にしていました。

 25年ほど前の話ですが、小池氏の原点が意外と現在の活動に近いことに驚かされます。当時の小池氏も、自民党を守旧勢力と見立てて戦っていたのです。

(当時、かつがれていた細川氏が元知事だったことに着目すると、小池氏が長期戦略として、都知事から国政への再進出を考えている可能性が浮上してきます)

 この頃、中選挙区制では金がかかるから小選挙区制がよいという論理が流行っていたのですが、小池氏は皮肉にも中選挙区制のおかげで議席を獲得しています。

 当時の週刊誌では、以下のような光景が書かれています(「週刊新潮93.3.26」)

  • (1993年)7月9日に洲本市の繁華街で二人がぶつかり、小池が「世界の社会主義に穴が開き、日本社会党はどう変わるのか」と言えば、土井は「政策も主張できない党」と反撃。
  • 二人の間は300mほど。「片方ががなり立てると、もう一方も負けじと頑張る。犬の遠吠えのようでした」(小池氏の兄)
  • 最終日には社会党のスローガンを訴える40人ほどの人の妨害で車が止められず、街頭演説ができなくなる嫌がらせもあった。
  • 選挙の結果は、土井たか子は220972票、小池百合子は136000票。

 小池氏は1993年に参院議員を辞職し、同年に衆院選(旧兵庫2区)に鞍替えして当選。

 しかし、日本新党や新生党(小沢一郎氏が主導)、公明党、社会党、新党さきがけ等でつくられた連立政権はもろく、日本新党のブームは短期間で終わります。

 細川氏は「政治腐敗」防止のために政治資金規正や小選挙区制度を導入する”政治改革”の旗手でしたが、細川自身の佐川急便借入金未返済疑惑が野党・自民党に追及されると、あえなく退陣することになりました。

  これを受けて、小池氏は「自民党政治に戻さないことが大切」と述べました。小池氏は日本新党の解党後、小沢一郎氏率いる新進党に参加します。

新進党~自由党時代:小沢一郎氏をかつぐ

 小池氏は、この転身について「(日本新党は)メッセージに溢れていた。それが政治をあきらめかけていた人々の心を揺り動かし、新党支持の広がりを加速した。メッセージに動かされ、馳せ参じた一人が私である。細川代表が政権を去ってから、わが党はメッセージを発信していないに等しい。このままの状態は不本意極まりない」と述べています。

(小池氏は細川氏を「時代をつかむ感覚はあるし、企画立案もいい。ただ、いざ実現するときにポシャる」と評価)

 小池氏は小沢氏の広報活動を担い、メディアでのPR面等についてアドバイスしています。小沢氏のネクタイや洋服を選んだりしていたと言われています。

 1996年の衆院選では兵庫6区から出馬し、小池氏は再選されました。

 この頃の特筆すべきポイントは、新進党と公明党が強く結託していたことです。

 現在、都民ファーストの会と公明党は連携していますが、この構図は新進党と公明党との連携を思い起こさせます(公明党と手を組んだのは自民党も同じですが)。

 小池氏は「新進党の結成はペリー、マッカーサーに続く第3の黒船である」という大げさな台詞を述べましたが、新進党は短命に終わり、解党。小沢氏は自由党を立ち上げ、小池氏はそこで有力議員の一人となります。

 自民党政権ができると、自由党は協力し、小池氏は1999年に経済企画政務次官となります。

 しかし、自民党と自由党の関係が悪化し、2000年には自由党が分裂しました。政権離脱の場合も一致した行動を取ることを小沢氏に求められましたが、二階運輸相らと共に、連立政権にとどまります。小池氏は扇千景氏が率いる保守党に参加しました。

 この頃、「近畿の比例一位用意する」という小沢氏の提案に対して、「近畿の比例で自由党に当選者が出ると思っているのですか」と捨て台詞を吐いたともいわれています。

 2002年には保守党を離党し、今度は自由民主党に入党。選挙結果がふるわず、保守党は同年に解党しています。

 反自民で連立政権を立ち上げたころから小池氏は小沢氏と接点があり、90年代後半には細川氏を見切り、小沢氏を支援していたわけです。

 あまりこれは書かれていませんが、小池氏の手法は、小沢氏と似ている一面もあります。

「都民ファースト。都民の暮らしが第一」という主張は「国民の生活が第一」という小沢一郎氏のフレーズとよく似ています。もう少し上品に言い換えたわけです。

 そして、反自民で対抗勢力を結集していくと、公明党との距離が近くなります(政権維持のために公明党と組むという手法は小沢氏から始まり、のちに自民党に踏襲されています)。今回の都議選で小池氏が連携相手として最重視したのが公明党だったのは周知の事実です。

 小池氏の路線は民進党ともかなりの割合で一致し、築地再整備等では、部分的に共産党とも手を組める余地があります。昨年、豊洲の盛り土がないことを発見したのは共産党だったので、小池氏は、これに便乗してもいました。

 小沢氏の特徴は、自民党から政権を奪還するためには、社会党等の左派陣営との連携もいとわないことです。政策よりも政争を重視した戦い方ですが、小池氏にも似たような一面があると思うのです。

(90年代後半は自社さ連立政権ができたりと、自民党もなりふりかまわず社会党と組んでいました。当時は政局と政争オンリーの時代だったのかもしれません)  

 小池氏の戦い方は小泉純一郎氏との共通点がよく指摘されるのですが、よく見ると小沢一郎氏との共通点も多いことには要注意です。小池氏=元自民党員というイメージがあるので、彼女が自民党に入るまでにやってきたことのほうはあまりチェックされていないのかもしれません。古すぎて忘れられているのでしょう。

自民党時代前半①:小泉純一郎氏をかつぐ

 小沢一郎氏を見放し、自民党員となった小池氏は2003年に「他にいい候補がいないから」として、自民総裁選で小泉純一郎氏を支持します。

 同年には小泉政権の改造内閣で環境大臣となり、後にクールビズ等を宣伝しています。

 この年の衆院選では、比例近畿ブロック単独で立候補し、4選。その後、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任するようになります。

 2005年には郵政民営化に反対した小林興起に対する「刺客」として東京10区にお国替えをします。ここでようやく地元が東京になったわけです(衆院選で5選)。

 この頃、小池氏は、小泉氏を支持した理由を述べています。

「13年前、政治を変えなければ日本の国は持たないと思い、政界入りを決断しました。今回の総選挙は当時と同じ。『小泉新党』という形でやればいいと思ったんです。」「これまでの自民党はなかなか結論を出さない、日本社会を凝縮したような政党でした。それを小泉首相が『自民党をぶっつぶす』と出てきて、それならお手伝いしようと思ったんです。」

 当時、小泉に手づくり弁当をふるまったことが報じられるなど、両氏の仲は非常によかったようです。

 そのせいか、昨年以来、小泉氏のメディア重視の劇場型政治が、現在、小池都政で再現されています。

 昨日、池上彰氏が小池百合子氏に 「小池チルドレンが大量当選で心配ない?」と尋ね、専門的な人材が揃っているので大丈夫だと答えていましたが、今後の前途がどうなるかが気になるところです。

自民党時代前半②:第一次安倍政権で防衛相/総裁選立候補

 2006年に発足した第一安倍政権で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命され、その後、2007年7月に防衛大臣となりました。ただ、8月下旬に辞任してしまうので、小池氏が長く務めた大臣は環境相です。

 豊洲移転に際しての環境審査の厳格化等、小池都政には、環境大臣としての経験が色濃く反映されているとも言えます。

 8月24日にイージス艦機密情報漏洩事件をもちだし、「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」と述べて辞任しましたが、この事件が起きたのは前任者の時代なので、小池氏が責任を取るというのは、意味不明な話です。これに関しては、小池氏は自分には防衛大臣を続ける力量がないと見て、仕事を投げ出したのだ、という見方もあります。

 防衛問題を巡っては、2007年8月に民主党がテロ特措法の延長に反対した時、小沢一郎氏に対して「湾岸戦争のころから、カレンダーがめくられていないのではないか」と痛烈な批判を行っています。防衛面では日米同盟を重視し、自衛隊強化に対しても肯定的な考え方を採っています。

 2008年9月、福田康夫首相の辞任に伴って行われた自民党総裁選挙に立候補。3位の得票だったので、それなりの支持者を集めていました。

 この頃、小沢一郎氏に対して「生活が第一と言いながら、『政局が第一』という人」と批判していますが、筆者には現在の小池氏も「都民ファーストと言いながら、政局が第一」になってしまっているように思えてなりません。

「小沢さんの、小沢さんによる、小沢さんのための政治がずっと続いてきた」とも言っていましたが、小池都政が「小池さんの、小池さんによる、小池さんのための政治」にならないように努力してほしいものです(すでに保守陣営からは「小池ファースト」の政治だという批判が噴出してきている)。

自民党時代後半:なかなかチャンスがなく、都知事選で大勝負

 その後、麻生政権ではチャンスが来ず、2009年の衆院選では民主党新人の江端貴子氏に敗れ、重複立候補した比例東京ブロックで復活当選しています。野党時代には谷垣総裁の下で党広報本部長を務め、2010年9月の党役員人事で総務会長に就任しました。自民党で女性議員が総裁選に出るのも総務会長になるのも初めてだったので、日本版の「ガラスの天井」に挑戦し続けているとは言えます。 

 しかし、2012年では安倍総裁の勝利を予見できず、ながらく冷や飯が回ってくることになりました。

 それに耐えかねたのか、16年に都知事選に乾坤一擲の勝負を挑み、当選したわけです。

 不思議なことですが、過去の元自民党議員の都知事の顔ぶれには一つの共通点があります。

 それは「個人のキャラと才覚」で頭角を現した政治家だという点です。 石原慎太郎氏は著名作家であり、得票力だけでなく、広く報道されるオピニオン力がありました。もし国民投票で国のトップを決めたら、石原氏が首相になる可能性も出てきたはずですが、それができないので、かわりに「都知事」を狙ったわけです。

 舛添要一は国際政治学者なので、知識量や語学力では並みの国会議員では歯が立ちません。才覚を発揮して厚生労働大臣にまでなりましたが、その動き方が自民党には相容れず、離党。その後、新党改革代表などの遍歴を経て、知事に活路を見出しています。

 小池百合子氏も、元はキャスターなので、優れたコミュニケーション力で世に出たタイプの方ですが、個性派は自民党内にはいにくいらしく、第二次安倍政権では活躍の場がなかったのです。

小池都知事の経歴から、その「野望」を推測する

 経歴を見ていくと、自民党入党以前に小池氏が所属した政党は、すべて消滅しています(日本新党、新進党、自由党、保守党)。細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎、安倍晋三と時の権力者・実力者の周辺を渡り歩いてきたことで、小池氏は「政界渡り鳥」という異名を得ました。

 ただ、小池氏は渡り鳥であることを止め、自分自身が実力者となるべく、昨年以来、都知事として影響力を発揮し始めています。今、まさにその真価が問われているとも言えます。

 経歴をウォッチングして気が付いたのですが、その政治手法には小沢一郎氏と似た一面もあります。

 小泉チルドレンと小池チルドレンという対比でみるだけでは、小池氏の底にあるものが見えないので、小池氏が過去、「かついだ」人たちから何を学んだのかをしっかりと注視すべきでしょう。

 小池氏の政治手法には、現在は、小泉政権の「劇場型政治」と「環境相時代の経験」が色濃く反映されていますが、これで都政を掌握した後には、小沢氏をかついだ時に学んだ政治手法が「第二波」として表に出てくる可能性があります。いくつかの政党を糾合して反自民の連立政権を築いた頃の遺伝子が、今後の小池氏の活動に反映されるのではないでしょうか。

 小沢氏の最大の”発明”は、矛盾する政策を持つ議員を反自民という名目で同じ政党に囲うことでした。これは、小沢一派が民主党に流れ込んできた後に本格化します。

 今後、小池氏は、公明党や民進党と手を組み、部分的には共産党の力を借りながら、自民党に対抗しうる政治勢力をつくることを狙うのかもしれません。

 都政ではもはや自民党は一野党に転落したので、”邪魔者”はいなくなりました。小池都知事が都の行政を、都民ファーストの会(+公明党ほか)で都議会を制した後、同氏の次の標的は、都だけでなく日本に影響力を拡大することになるのかもしれません。

 そのために、オリンピックというのは絶好のチャンスです。小池氏は橋下徹氏以上に有利なポジションを手にしています。

 オリンピックをこなした都知事という名声を得れば、かつての細川護熙氏のように、知事から国政に向かい、「政治改革」をうたう指導者として台頭できる。「安倍の次」の指導者となることができるーーそんな未来図を小池氏が描いていても不思議ではありません(もし思っていても、こんなことは絶対に公言しないでしょうが)。

 筆者は、小池氏の学んだ政治手法は最近のものから順に表に出てきて、昔に学んだものは後に出てくると推測しています。

  1. 都知事選勝利のために保守政治家として自民支持層にPR(安倍首相以降に学んだ保守カラー)
  2. 劇場型政治で都民の人気を博し、都議会選に勝利(小泉首相から学んだ議会制圧法)
  3. 非自民の旗を掲げ、左派陣営と共闘。一大政治勢力をつくる(小沢一郎氏と同じく政党間バトルを展開?)
  4. 都政から国政に再進出、ポスト安倍を狙う(細川護熙氏と同じく「政治改革」をPR?)

 現在、1と2までが現実化しました。残りの3と4が実現するかどうかが、今後の問題です。

 ただ、小池氏には「豊洲移転+築地再整備プラン」など、実現の道が厳しい政策もあります。PR戦に勝っても、都政のかじ取りに挫折すれば、民主党政権のように、高支持率でスタートを切っても墜落する可能性があります。

 鳩山首相は普天間飛行場の県外移設に失敗し、国民の支持を失いましたが、小池都知事も、豊洲移転+築地再整備プランで失敗した場合は、かなりのダメージを受けるはずです。

 結局、あとは現実の都政がうまくいくかどうかの問題だと言えます。

 ただ、これは「小池氏に国政進出の意図あり」と筆者が仮定しているだけなので、単なる推測以上のものではありません。

 今回の都議選で都知事が政党を立ち上げ、都議会を制することになりましたので(実質的な二元代表制の崩壊と言えなくもない)、その影響力の大きさを考慮し、今後に起きる未来シナリオの可能性を推測してみました。