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ゼロからやりなおす「政治と経済」

政治と経済について、いまさら聞けない知識を整理しつつ、ニュースがよりよくわかるデータを紹介していきます。

渡部昇一氏が86歳で逝去 その知的生活と発想力の源は何だったのか?

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(渡部氏が学んだミュンスター大の風景。出所はWIKIパブリックドメイン画像)

  上智大学名誉教授の渡部昇一氏(1930~2017)が18日未明に逝去されました。

 ベストセラーになった『知的生活の方法』で世に知られた渡部昇一氏は『ドイツ参謀本部』『文科の時代』『腐敗の時代』『日本史から見た日本人』『指導力の研究』『日本史の真髄―頼山陽の『日本楽府』を読む』『かくて昭和史は甦る』等、幅広く著書を刊行しています。

  専攻は英語学ですが、社会評論や歴史論の著書で世に知られ、90年代以降、先の大戦を知らない世代が社会の中心を占めるようになると、保守の立場から歴史認識の見直しに力を入れるようになりました。

 独自の語り口から、講演活動等でも一定の人気を得、テレビやネット等の番組にも数多く出演しています。

 筆者が2年前に渡部氏の講演を聞いた時は、ずっと立ちっぱなしで1時間半ほど、戦後史を語っていました。

 とはいえ、昨年で86歳。もう天に召される時期が近づいていたのでしょう。

 多くのファンに惜しまれながら、その人生を終えることになりました。

 筆者もその著書を長年読み、百冊以上は目を通してきたので、今回は、その中で、特に心に残ったフレーズを紹介してみます。

「情報力は想像力だ」

 これは『指導力の研究』(1986年)の第一章の見出しですが、そこでは面白い事例が紹介されています。

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 昭和16年に真珠湾攻撃から対米戦争に踏み出す時、とある高級官僚とその夫人が論争していた。夫は豊富な情報をもとに「日本は勝つ」と主張。夫人は留学時にピアノの日米普及の差を見て、経済力が違うから日本は負けるに違いないと言ってきかない。結局、正しかったのは夫人のほうだったーー。

 当時、渡部昇一氏の母は、日本製とアメリカ製のタイヤを比べ、アメリカ製はパンクしないのに日本製はパンクばかりだから負けると述べていた例も紹介されています。

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 これは、必ずしも情報が多いほうが正しい判断を下すとは限らない、という話です。

 二人の女性は豊富な情報を得られない立場にいながらも、適切な想像力を働かせ、日米の経済力の差を直観的に理解していました。

 これは、想像力が適切に働けば、ウロコ一枚を見て何の魚かが分かることもあるという実例です。

 昇一氏も、前掲書の中で、知識人がこぞって北ベトナムによる南ベトナム統一に賛成していた頃、北ベトナムで修道院が壊され、修道僧が殺された話を聞き、この体制は文明と共存できないから、北ベトナムによる南ベトナムの統一は望ましくないと考えたと述べています。

 何の武器も持たずに祈っている修道僧を殺してしまうような体制はまともではないーーそう考えたわけです。

 前掲書では、本能寺の変を例にあげ、この時、同じ情報を得ても、天下取りの好機と即断し、兵を動かせたのは秀吉だけだったとも述べています。

 こうした例は、株式投資等にもあてはまりそうです。

 いろいろな企業情報を集めることは可能ですが、大量に情報を集めても、本質的な情報を見落とすと、真逆の判断になってしまうこともあります。

 昨年のトランプ氏VSヒラリー氏のバトルでは、木村太郎氏は訪米時に、二人の候補者への現地の米国人の反応から、トランプ氏勝利と予測していました。

 しかし、単に米マスコミの受け売りをしてヒラリーが勝つと言っていた言論人たちは、偏った多くの情報を手にしながらも、適切な判断ができなかったわけです。

 このあたりの差は、情報の中の本質的な部分を読めたかどうかの差であると同時に、マスコミ報道に出ない部分を読む「想像力」の差でもあったと思います。

 筆者も、そのころ、あれこれと書きながらもトランプが勝つとは読めなかったので、『指導力の研究』を読み返して、昇一氏がいう「本質的な情報」を見落としていたことに気づかされました。

「ダチョウ型人間からワシ型人間へ」

  これは『クオリティ・ライフの発想』(1977年)という著書の副題です。

 渡部昇一氏は、この中で、人間の知性を二種類に分けています。

 その一つは、学校の勉強や仕事の実務等で機能する「能動的知性」(インテリジェンス)。

 もう一つは静かな思索の中で働く「受動的知性」(インテレクト)。

 このうち、インテリジェンスの機能を大地を駆けるダチョウにたとえ、インテレクトの機能を天にはばたくワシにたとえています。

 受験競争に勝ち、よい企業に入ってビジネスエリートとして突っ走っている方々の多くは、前掲のダチョウ型の知性に秀でているのですが、そこからもう一段、伸びるためにはもう一つの知性が必要になると指摘しています。

 また、受験勉強的なものでは勝者になれなかった人でも、粘り強くインテレクトを磨く中で、高い判断力を発揮できるとも述べていました。

 この書籍の中では、前者の事例としては伊藤博文、後者の事例としては松下幸之助氏があげられています。

 若いころは喧嘩早く、過激な行動に走っていた伊藤博文に関して、「30歳をこえると、深沈として、黙然としてひたすら考え込むようになった。身近な人も驚くほどの変わりようだった」(P164)と述べています。

 その背景はこの本には書かれていませんが、それを補うと、博文は長州藩を率いる指導者の一人となり、どんどん責任が重くなっていきます。そして、彼の先輩にあたる高杉晋作が死に、木戸孝允が死に、明治政府内で伊藤を引き立てた大久保利通も死んでいきます。先輩がいなくなる時、彼は内閣総理大臣となり、トップに立って走らなければいけなくなるのです。

 伊藤が、「沈々として考える」ようになった理由としては、責任が重くなり、若い頃のような軽挙妄動ができなくなったことが考えられます。自分の判断一つで部下が死ぬようになれば、かつての「ハジキ豆」のような生き方はできなくなるからです。そして、彼は先輩が死んでいく中で、誰かの指示を当てにできなくなりました。自分自身の知力で、部下だけでなく、国の発展につながるような判断を下さなければいけなくなるわけです。

 政界でも財界でも、トップになるまでは優秀で、トップになったら大した判断ができない人がいますが、そうなってしまう原因の一つは、構想力の不足です。こうした方々の多くは、目先の仕事に追われ、伊藤博文のように先輩が消え、トップに立った時に何を実現するのか、という構想を沈々と描く作業が足りなかったのではないでしょうか。

(好き嫌いは分かれますが、長期政権を敷いた中曽根康弘氏は首相になった時に実現したい構想を延々と大学ノートに書きためていたそうです)

 日本語には「大所高所から」という言葉がありますが、そうした大きな判断をする能力は沈思黙考し、ワシのように飛ぶ知性がなければ出てこないことを、『クオリティ・ライフの発想』ではあれこれと述べているわけです。

 この書籍では政権が変わっても延々と玉座にあって国を見続けてきたエリザベス女王の知性に労働党のウィルソン首相が驚いた例なども挙げられていました。実際に実務をするわけにはいかないのですが、女王は何十年も延々と国民のために沈思黙考していたので、並みの政治家では思いつかないような判断力を見せることがあったのだとか・・・。

 また、学校秀才ではなくても大成した人の例として、松下幸之助氏を挙げています。

 松下氏が昭和時代に「物価千倍、賃金千三百倍、国費一万三千倍」となる国のあり方に警鐘を鳴らしたのを見て、渡部昇一氏は本質を突いた指摘だと述べていましたが、確かに、今でも国費の拡大が延々と続いています。

 学歴がなくとも、賢明に働き、人生の節目節目で「素直な心」をもって考え続けた松下氏は、次第に一経営者の枠を超え、天下国家の在り方を考え、ワシのように日本を鳥瞰する目を持つようになりました。

 この書籍では、雑音の中で忙しく動き回っている現代人に向けて、禅寺で静かに考えるような生活の中で、大きく思索を広げることも大事だと呼びかけているわけです。

「知(※この場合は「インテレクト」のほう)がよく働くようにするためには受動的でなければならない。その際にその受動性を破るものは何かといえば、外から来る騒音である」(P146)

 既存の学問や常識、仕事の手法等を要領よく呑み込み、それをもとに一定の成果を上げる能力がなければ、給料をもらえる仕事はできませんが、この書籍では、この「インテレクト」を用いてその先を目指すための方法が述べられています。

「和歌の前の平等」

 渡部昇一氏は『日本語のこころ』(1974年)という著書で、日本の歴史を見た時、我が国には「言の葉」と「言霊」を尊ぶ伝統があるために、和歌においては老若男女も貧富も身分の差も関係なく、平等に扱われているのではないかと述べました。

『万葉集』を見ると、収録された歌の詠み手は貴族だけに限られず、防人もいれば平民もおり、歌の良しあしを見るうえで出自などは問題にされていないというわけです。

 『古事記』で日本武尊(やまとたけるのみこと)が火焼の老翁と歌を詠んだことが連歌の起源だともいわれますが、そこでは皇子と貧しい老翁の身分差などは問題にされていません。

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「にひばり 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」(日本武尊)

「日々並べて 夜には九夜 日には十日を」(老翁)

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 こんな歌問答を交わしたわけですが、これが古代から現代にまで流れるよき日本精神だと指摘しているわけです。

 英語学をやっていた渡部氏は、外国で勉強しながら日本のことを考えていた時、他の日本文学や日本史の研究者たちが思いつかない観点に気付かれたようです。

 筆者はこの本を学生時代に読んで、「なるほど、日本ってそんなよい国だったんだ」と非常に感動しました。

 現代的に言えば、これは誰にも発言権のある社会が望ましいという考え方に近いのかもしれません。専門外の人が専門家には気付かない観点を発見することもあるので、いろいろな人の発言に耳を傾ける心の広さを保ちたいものです。

「井戸の数を増やす」

 これは『発想法』(1981年)という著書の見出しの一節です。この本は、「智謀沸くがごとし」と言われた秋山真之の例をあげ、リソースフル人間になろう、と呼びかけた一書ですが、今から見ても、著述を志す人にとっては必読の内容がいろいろと書かれています。

 この本では夏目漱石の発想力と戦前の私小説家の例が比較されていました。

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「漱石は漢詩の世界という東洋・過去という泉と、英文学の世界という西洋・未来の泉を持っていた」

「私小説家は、自分の生活しか書く材料がなかった」(P51)

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 当時の私小説家は、自分の恋愛体験や生活体験など、個人の特殊な体験や発見などを書き綴りました。

 しかし、その体験をもとに書ける分量には限界があるので、どこかの段階で、書く種が尽き、創作の井戸が枯れてしまいます。

 これに対して、やはり、夏目漱石や森鴎外などの文豪には膨大な知識や研究のストックがあったので、人生を通して枯れることなく書き続けることができたというのです。

 漱石は若き日の漢詩研究と後年の英文学研究が合わさり、その両者の交錯の中で人間の悲喜劇を描き出す独自の作風を生み出すことに成功しています。

 渡部昇一氏の恩師は、高校生頃の昇一氏に、当時のある作家が似たような作品の繰り返しになってしまったのを見て、「ああ、あの人は種が尽きたね」と論評したことがあったそうです。その原因が知識のストック切れにあることに気付いた昇一氏は、その後、生涯を通じて知的生活を深めていくわけですが、この『発想法』はその仕事の秘訣がよくわかる一書になっています。

(『知的生活の方法』や『続知的生活の方法』の続きにあたる内容にも見えなくもありません)

 マンガの世界を見ても、ヒット作を飛ばした後、二番煎じ、三番煎じの作品を連発している作家がいたりするので、昇一氏が恩師から聞いた指摘は、現代でもかなり当てはまっています。

 クリエイターになりたい人には、この本は非常に参考になるはずです。

渡部昇一氏の初期の著作は捨てがたい

 筆者の個人的感想ではありますが、渡部昇一氏の初期の著作は、今読んでも色褪せず、参考になる卓見が数多く含まれているように思えてなりません。特に1970年代~80年代ごろの著作は、渡部昇一氏が評論の前に築き上げた、学問観や人生観、価値観と知的なライフスタイルの築き方がしっかりと書かれているからです。

 このあたりの著作を読むと、同氏が偉くなる前に必死に智恵を絞った過程が見えてきます。

 後年の政治・経済への提言や歴史観の見直しなども興味深いのですが、こちらは、他の識者と主張がかぶることも結構あるので、必ずしも、昇一氏の著作でなければ学べない、という内容ではないのかもしれません。

 筆者は、幸田露伴の自助努力を称賛した渡部昇一氏も、昭和から平成の時代に自助努力で道を開く知識人の見本を示した人と言われるようになるのではないかと勝手に想像しています。