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ゼロからやりなおす「政治と経済」

政治と経済について、いまさら聞けない知識を整理しつつ、ニュースがよりよくわかるデータを紹介していきます。

金正男氏を北朝鮮女性工作員2名が襲撃 20万人の北特殊部隊の脅威に対策はあるのか

国際 朝鮮半島 全記事一覧

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(クアラルンプール遠景。出所はWIKIパブリックドメイン画像)

  14日深夜にマレーシア警察が金正男氏(金正恩氏の異母兄)が空港で襲撃されたことを発表して以来、しばし国際面のニュースランキングが金正男氏関連の報道で埋め尽くされました。

 事件が起きたのは13日午前9時。クアラルンプール国際空港の出入国審査近辺にあるショッピングエリアで倒れた男性が近郊(プトラジャヤ)の病院に搬送され、息をひきとりました。

 この男性は北朝鮮籍のパスポートを持っており、倒れる前に空港スタッフに「顔に何かを吹きかけられて以来、体調が悪い」と訴えています。

 警察の調査の結果、この男性が金正男氏だと分かったのですが、その「何か」を吹きかけたのは、毒針を持った二人組の女だともいわれていました。

 まるで007のような出来事が起き、国際社会に衝撃が走っています。

 今日は、この事件について考えてみます。

事件の経緯を整理してみる(追記)

 この事件の発生後、大量の報道が飛び交ったので時系列で整理してみます。以下、その後の出来事です。

  • 2月6日:金正男氏がマレーシア入国
  • 13日:クアラルンプール国際空港で事件発生(14日に各紙報道)
  • 15日:実行犯の容疑でベトナム国籍の女性を逮捕(自称ネットアイドル)/検視を実施
  • 16日:もう一名の実行犯容疑者女性(インドネシア国籍)を逮捕
  • 17日:北朝鮮籍のリ・ジョンチョル容疑者を逮捕。
  • 19日:マレーシア警察が国外逃亡した、ほか四名の北朝鮮籍の男を指名手配
  • 20日:マレーシア外務省が駐北朝鮮マレーシア大使を召還
  • 24日:マレーシア警察が神経剤VXが使われたと断定(関与を否定し、心臓発作を原因とする北朝鮮側の論拠が崩れる)
  • 25日:マレーシア側が国交断絶を示唆
  • 3月6日:北朝鮮大使がマレーシア出国

そもそも金正男氏とは?

 金正男氏は、1971年に、金正日氏が正妻と結婚しながら同棲していた成恵琳(ソン・ヘリム)氏を母にして生まれました。

 金正日氏は70年ごろに平壌に別邸を建て、そこに住ませた兵を用いて莫大なプレゼントを与えて正男氏を甘やかしたようです。

 「(娯楽室の)中では電気自動車に乗って移動した。柱のない部屋だったから運動場のように広く感じた。ポケットボール台があり、電子娯楽機器が陣列されていた」(李韓永)

 正日は毎年、世界各地に正男の「誕生日プレゼント購入団」を派遣して100万ドル(現在のレートで約1億2千万円)分のおもちゃなどを調達。3歳の誕生日からは、ソ連に特注した子供用「将軍服」を着せ、官邸で働く警備兵や従業員を集め、閲兵式を行わせた。

(産経ニュース「【秘録金正日(31)】塀で隠され育った長男、正男 「こんな生活嫌だ」迫る内妻をピストルで脅し」2015.6.30)

 その後、正男氏は北朝鮮でコンピュータ部門やサイバー軍の基礎をつくったともいわれています。

 しかし、1995年から北京に在住した正男氏は北朝鮮には改革・開放が必要だと考えるようになりました。海外暮らしが長いので(ジュネーブやモスクワ等が留学先ともいわれる)、金一家のメンバーの中では中国の改革・開放路線寄りの考え方を持っています。自由主義諸国に関心を持っているためか、日本にもお忍びで来たことがあります。

 その後、正男氏は北朝鮮から出国し、2007年にはマカオ(中国の特別行政区)に移住しました。今回の出来事は旅先の出来事と思われます。もともと改革志向で、金一家の三代世襲に反対していたために、北朝鮮当局から危険分子として狙われていたわけです。

金正恩氏は何を狙ったのか?

 産経ニュース(2015/1/15)では、今回の出来事に関して礒崎敦仁・慶応大准教授の発言が紹介されています。

 北朝鮮では、金正恩朝鮮労働党委員長を頂点とする「唯一領導体系」からはずれた存在を許さないので、元ロイヤルファミリーの一員として北朝鮮の体制を批判してきた金正男氏を許すべきでないと判断された可能性がある。既に韓国などに亡命した元高官らを萎縮させる効果もある。

(「元ロイヤルファミリーの批判許さず」 礒崎敦仁・慶応大准教授の話)

  これは常識的な線の発言ですが、「日米首脳会談⇒北朝鮮のミサイル発射⇒制裁強化」という流れから見ると、日本や米国、韓国等を含めた関連諸国への威嚇という意味合いも含まれている可能性が濃厚です。

 日本で起きた拉致事件なども北朝鮮特殊部隊(工作員)が引き起こしており、スパイ天国ともいわれる我が国には、北朝鮮の工作員が多数、入り込んでいます。

 これは「やろうと思えば、日本や韓国などで、工作員を用いた要人襲撃もできなくはないんだぞ」と言っているようにも見えます。実際にそれをやった場合、更なる制裁強化等の実害が発生するので、日米韓の要人ではなく、個人にすぎない金正男氏を狙い、各国を威嚇したのではないでしょうか。

北朝鮮には20万人以上の特殊部隊がいる

  北朝鮮には120万人規模の軍隊がありますが、韓国の国防部はそのうち、20万人が特殊部隊を構成しているとみています。北朝鮮軍の中で特に力が入っているのは核ミサイル開発と、特殊部隊、またソウルを狙う火砲部隊です。

 北朝鮮の特殊部隊の練度は高く、2001年にはビンラディンの配下が北朝鮮人から化学兵器対策の特訓を受けていたとも報じられています(東亜日報「アフガニスタンのビンラディン訓練キャンプ、北朝鮮人が化学武器教育」2001/9/30)

 この部隊の練度の高さが証明されたのは1996年9月の江陵浸透事件です。

 韓国の江原道江陵市近辺で工作員を回収するための北朝鮮特殊潜水艦が座礁し、その乗組員と工作員を合わせた26名が韓国内に逃亡したのですが、軍と警察が総がかりの掃討作戦には二か月もの時間を要しました。韓国側は、軍人12名、警察官1名、民間人4名の犠牲者が出たのです(そのほか負傷者17名)。北朝鮮本国への忠誠心をもつ1名の工作員を追うには数十人の兵が必要になる有様だったのです。

 日本の海保の巡視船が北朝鮮の不審船を撃ち、沈めた時も、北朝鮮工作員は自沈を選んだことから見ても、彼らは本国への強い忠誠心を見せています。

 この特殊部隊20万人の部隊は北朝鮮軍の選び抜かれた精鋭です。高い練度を誇るため、周辺諸国にとっては脅威の一つになっています(日本から見れば、拉致問題を引き起こした実行部隊、つまり金正日の手足に相当する)。

北朝鮮特殊部隊の練度は高い

 ジャーナリスト・コリア・レポート編集長の辺真一氏も、2016年にその危険性を指摘していました。

 金主席は1969年1月6日の軍党全員会議で「敵の後方に入って戦えば、原子爆弾よりももっと強力である」と述べたことがある。特殊部隊で中心的な役割を担うのは、軍総参謀部傘下の偵察総局と矯導隊指導局だ。

 中でも矯導隊指導局は特殊部隊の戦力を強化するため1991年に総参謀部直属の部隊として発足し、5万人の兵力を有する最先鋭部隊である。同局は狙撃旅団、空軍狙撃団、航空陸戦団、軽歩旅団から成る。

 狙撃旅団は戦争が勃発すれば、偵察大隊が作成した地図を基に先鋒として敵地に潜入し、ミサイル基地などの軍事施設を破壊し、産業・公共施設を速やかに占拠する役目を担う。原子力発電所などを戦略目標も攻撃の対象である。要人の暗殺も任務に含まれる。

 ・・・ 

 空軍狙撃旅団は米韓連合軍が使用する飛行場、レーダー、管制施設、地対空ミサイル基地などを襲撃し、北朝鮮空軍の領域確保するのが任務。

 ・・・

 航空陸戦旅団は敵陣の後方に落下傘降下して味方の主力が到着するまでの間、占領地域を確保するのが任務。

 ・・・

 軽歩旅団は有事の際、背後を突いてくる米韓の落下傘部隊に対処する。平時は、平安北道の熙川や咸鏡南道の咸興に駐屯して、毎日超人的な訓練に明け暮れている。30kgの軍装備を背負って6時間以上行軍することも、2,3日一睡もせず、160kmを歩くこともいとわない。

 北朝鮮の特殊部隊隊員の思想教育は特に徹底しており「将軍様の命令とあれば、爆弾を抱えて敵陣に飛び込むことも辞さない」との「特攻精神」で武装されている。実際に2009年4月に衛星と称する長距離弾道ミサイルを発射した際には日米のイージス艦による迎撃に備え、14人の空軍パイロットから成る特攻隊を編成し、爆弾を搭載して、そのままイージス艦に突撃する訓練を行っていた。潜水艦による北朝鮮武装兵士浸透事件で韓国軍に唯一拘束された李光洙人民軍偵察局上尉は「死を覚悟している者には怖いものはなにもない。そのような教育を受けてきた」と筆者に語っていた。

(「米国の特殊部隊vs北朝鮮の特殊部隊、どちらが強い!?」2016/3/1)

 スパイ防止法がなく、冷戦期から平和を享受してきた日本は、北朝鮮工作員に与(くみ)しやすしと見られています。日本人の拉致は、日本を威嚇して資金を引き出すための交渉材料にも用いられましたが、元をたどれば、日本を攻撃するための軍事訓練の一つでもありました。

 不審船が夜に楽々上陸できたり、上陸後の工作員が民間人になりすませたり、白昼堂々と日本人を拉致できたりと、防衛に隙があることが露呈したわけですが、我が国は工作員への根本的な対策を打ち出せないでいます。そして、いまだに拉致被害者を取り返すこともできていません。

 今回の金正男氏襲撃事件をきっかけにして、我が国は、もっと北朝鮮工作員等への警戒態勢を強化すべきなのではないでしょうか。