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ゼロからやりなおす「政治と経済」

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海賊と呼ばれた男のモデルとなった出光佐三 どんな人生? 何をした人? 

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(タンカー。出所:WIKIパブリックドメイン画像)

  映画「海賊と呼ばれた男」が2016年の12月10日に公開されます。山崎貴監督によって『永遠の0』に続き百田尚樹氏の小説が映画化されることになりました。

 主人公の国岡鐡造役に岡田准一氏、妻のユキ役に綾瀬はるか氏を起用するなど、この映画の注目のポイントは盛りだくさんですが、今回は国岡鐡造に焦点を当て、モデルとなった出光佐三(出光商会創業者)の人生や発言等について考えてみます。

【他の配役】

  • 吉岡秀隆:東雲忠司(生涯、出光に仕えた石田正賓氏がモデル)
  • 染谷将太:長谷部喜雄(元漁師の社員)
  • 野間口徹:柏井耕一(国岡とは真逆のクールなキャラの社員)
  • ピエール瀧:藤本壮平(元海軍大佐。戦後にGHQからのラジオ修理事業を提案)
  • 光石研:国岡万亀男(主人公の兄)
  • 堤真一:盛田辰郎(日昇丸の船長)
  • 國村隼:鳥川卓巳(国岡商店のライバル「日邦石油」社長)
  • 近藤正臣:木田章太郎(主人公のスポンサー)

 日経エンタテイメント(2017/1/25)によれば、映画「海賊と呼ばれた男」の1月24日時点の興業収入は25億円。正月映画の中では第五位にランクインしていました。ファンタスティック・ビースト(興収75億)⇒スターウォーズローグワン、バイオハザード(同45億円)⇒妖怪ウォッチ(同35億円)の次につけています。第6位は「ぼくは明日、昨日の君とデートする」(同20億円)なので、硬派の固い映画にしては健闘しているのかもしれません(「正月映画1位は新ハリポタ、バイオハザードが大健闘」)。

 2月24日には安倍総理と麻生副総理が国岡鐡造を演じたV6の岡田准一氏や元陸軍大佐の武知甲太郎を演じた鈴木亮平氏と都内で会食したことも報じられました。

 この作品の見所はどこにあるのでしょうか。

出光佐三ってどんな人? 何で海賊と呼ばれたの?

 出光佐三(以下、敬称略)の発言や逸話は木本正次氏の『出光左三語録』(PHP文庫)に出ているものを紹介していきます。一読してみると、全体的には『海賊と呼ばれた男』とほぼ重なる人生の流れで、出てくる発言もよく似ていました。

 まず、出光佐三の生い立ちを見てみます。

 出光は福岡県で生まれ、神戸で学業を修めました。

  • 1885年:福岡県宗像郡宗像市に藍問屋を営む家庭に誕生(8月22日 )。
  • 1901年:福岡市商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)に入学。
  • 1905年:神戸高等商業学校(現・神戸大学経済学部)に入学。

 学生時代に学んだヒューマニズムが後の経営理念にもつながっていくのですが、別荘を売って得た大金を持て余している資産家から事業資金を寄贈してもらうなど(※これは実話)、若いころから人を引き付ける魅力を持った人物だったようです。

 出光佐三は神戸大を卒業し、他の仲間が海運会社に入るのを尻目に神戸で酒井商店(小麦粉や機械油等を扱う)の丁稚となりますが、25歳の頃、資産家の日田重太郎氏と息子の家庭教師をしたことがきっかけで知り合います。

 そこで日田から8000円の大金を渡されて福岡県北九州市門司区に出光商会を設立します(1991年)。悠々自適の生活を営む日田氏は、若者が一生懸命に何かに打ち込む姿を見たくて出光氏の事業のスポンサーになりました(別荘を売って得たお金の寄贈なので、今だったら譲与税等、いろいろな税金をかけられそうな話ではあります)。

 出光はかくして起業し、初期には日本石油の特約店として機械油を扱いました。当初はなかなか売れず、「石の上にも3年」という心意気で耐え忍ぶのですが、日本石油本社への行帰りのために東京で自動車に乗った折に、運転手から「東京では自動車の利用が広まっている」という話を聞きます。

 彼は、その時、これからは機械油ではなく燃料油の時代だと直感するのです。

 路線転換がなされ、まずは下関の漁船を相手に海上油販売を軌道に載せます。

 上質油でなければ漁船のエンジンは動かないという迷信を破り、軽油で船を動かして見せたり、既存の店が主張する販売のテリトリーに割り込んだりと新たなチャレンジを繰り返したのです。

 この時、「海に境界はない」と主張して既存の店のテリトリーを荒らしたので、彼は海賊と呼ばれることになりました。

 何とか事業を軌道に乗せると、出光は第一次世界大戦がはじまる1914年に南満州鉄道で車軸油を納入します。

 現地の人びとは欧米の油のほうがよいという偏見の塊でしたが、出光は自ら油の品質を実証して営業し、満鉄の事故を減らしました。

 その後、敵を味方に変えながら躍進したものの、関東大震災(1923年)の翌年には第一銀行から25万円の借しはがしを食らいます。倒産が危ぶまれながらも、二十三銀行が肩代わりをしてくれたので、この時、彼は辛くも生き延びています。

 大戦前には、門司商工会議所会頭に就任したり、貴族院議員になったりしています。社会的にも地位を上げ、1940年に「出光興産株式会社」を設立したのです。

敗戦後の日本再建に力を尽くす 石油輸入のためにイランに出航

 最大の危機は、1945年の日本の敗戦の折にやってきました。

 しかし、出光は8月17日に、従業員に対して「愚痴をやめよ」「世界無比の三千年の歴史を見直せ」「そして今から建設にかかれ」と訴えます(『出光佐三語録』P141)。

 出光の戦後復興の講話や、南方の軍への石油配給に携わった社員が「使命を果たしてきました」と言って帰ってくる話は『海賊と呼ばれた男』のストーリーの見せ所にもなっています。

 この時、出光佐三は苦しい経営の中、千名の従業員の首を切らず、大家族主義を標榜し、一人一人の社員の力を元に事業再建に挑戦していきました。

 ドイツの潜水艦が戦時に残した潤滑油を探して運んだり、ラジオ修理をしたり、旧海軍の燃料タンクから廃油を組み出したりしています(小説ではラジオ修理と廃油組み出しの話が出てくる)。

 戦後、石油の仕事は欧米のメジャーに占拠されていたので、出光はここに挑戦。日本における「民族系」の石油会社として市場に割り込み、1950年代前半、出光興産は外資に頼らない石油製品の輸入に着手しました。

 1953年の5月9日に「日章丸二世」にイランの石油を積み込み、日本への輸入を試みます。これが日章丸事件と呼ばれ、今回の映画の最大の見せ場になるわけです。

 半世紀ほど石油をイギリスのアングロ・イラニアン社に奪われてきたイランでは1951年にモサデク首相が石油国有化政策を取り、同社の石油施設を接収。イギリスはイランに経済封鎖を行い、イラン石油を購入するタンカーの拿捕を実施しました。

 このご時世の中で、出光はモサデクを愛国者と評価し、海上封鎖の目をくぐってイランのアバダンで日章丸にガソリンと軽油を積み込み、はるばる川崎にまで帰ってきたわけです。

 イギリスのアングロイラニアン社は東京地裁に提訴し、積荷に対する所有権を主張しましたが出光は勝訴。これは日本国民を勇気づける大事件でした。

 出光興産は政府の命令による生産調整や石油業法に反対したり、石油連盟から脱退したりしながら(政策転換に伴って連盟には後に復帰する)、独自路線で発展し、石油化学工業にも進出しました。

 出光は1966年(81歳)に出光興産社長を退き、会長になります。社長には長男の昭介氏が就任しました。

 佐三はその後、86歳で「店主」となり、1981年に95歳で大往生しました(3月7日)。

 現在は出光興産も上場していますが、創業者は「資本金は無をもって理想とする」ので、もともとは非上場の企業だったのです。

 かつての佐三氏と出光興産の社風に関しては、産経正論(1/27:9面、新保祐司氏:文芸批評家・都留文科大学教授)が以下のように述べています。

(松下幸之助氏や本田総一郎氏とは違い)「佐三は何か思想家とでもいうべき存在であり、その思想は戦後思潮の中では理解されにくかった」「その思想の根底には深い愛国心があり、ガソリンスタンドのポールには国旗が掲げられていた。新入社員時代、支店勤務の私は、朝礼での国旗掲揚とそれに対する最敬礼の号令をかける担当をしていたものであった」

 出光佐三氏が経営した頃の出光興産は企業であると同時に一つの思想を持った集団でもあったようなのです。

出光佐三の「人間尊重」とは?

 出光佐三は「人間尊重」をうたった経営者です。

「仕事も人間が本位である。資本よりも人間である。組織よりも人間である、規則、法律というものも人間によって生きる」「私共は自分を修養し、その修養した人が一致団結して、人間の真の力を出すいわゆる『人間尊重』というような言葉を使って、今日まできているのであります」(木本正次著『出光左三語録』P96)

 このあたりは儒教の修身・治国・平天下の考え方を経営に当てはめた話のようにもも見えます。中国の思想の中では韓非子や商鞅などの法家は法律重視、孫子や呉子は知略重視ですが、孔子や孟子は人間を重視します。

 経済評論家の日下公人氏も明治期以来、日本企業の歴史は「人本主義」でつくられたと評していましたが、人間の可能性を「修養」で伸ばした出光は、渋沢栄一的な「論語と算盤」を実践して見せたのかもしれません。

 そして、「〇〇の奴隷になるな」という言い方で以下の七カ条を挙げています(木本正次著『出光左三語録』P188~192)

  1. 黄金の奴隷になるな
  2. 学問の奴隷になるな
  3. 法律、組織、機構の奴隷になるな
  4. 権力の奴隷になるな
  5. 数、理論の奴隷になるな
  6. 主義の奴隷になるな
  7. モラルの奴隷になるな

 1~4は分かりやすいですが、5~7は説明がないとよく分かりません。

 前掲書によれば、5は民主主義の多数決の弊害についての考え方です。単に賛同数が多いかどうかだけでは、物事の善悪は分からない。多数決を盲信しすぎるのは危険だという主張です。

 6は「〇〇主義」を掲げて、人間をその主義の奴隷にしてしまう考え方の問題点を挙げました。7にも似たところはありますが、これは、権力者、征服者がつくったモラルを盲信して奴隷になってはいけないという主張です。

 出光佐三は、この「奴隷解放」の精神のもとに人間尊重をうたっています。

性善説的な出光佐三 現代の経営論とは逆張り

 その発言や人生の歩みを見た時に、驚かされるのは、強烈な性善説です。人間の可能性を信じ、自分と社員の潜在力を引き出し、味方を増やして困難を突破していきます。

 出光の仕事を助けた石田正實は、「この人は、私とは四十年を超える長い付き合いであった。にもかかわらず、私はただの一度も、『金を儲けよ』とはいわれなかった」と述べ、そのかわりに「人を、愛せよ」「人間を、尊重せよ」と言われたことを述懐しています。

「出光は、創業以来『人間尊重』を社是として、お互いが練磨してきた同道場であります」(P10)

「愛とは如何なる場合にも、自分を無私にして、相手の立場を考えるということである」(愛を)「ひたすら不言実行してきたがために、今日の人を中心とした出光の形ができ上がった。愛によって育った人は資本となり、奴隷解放の出光六十二年の歴史をつくった」(木本正次著『出光左三語録』P11~12)

 経営には人間の可能性を引き出すための性善説的な要素と人間の暗部を直視する性悪説的な要素がありますが、出光は人間の悪を知りながらも「それでも人間を信じる」というスタンスを貫いています。

 これがいちばん先鋭化したのは、戦後復興の際に1000人の復員者の首を切らなかった逸話です。

 戦争に敗れた責任は政府や軍部にあるわけですから、南方で使命を果たした社員たちに罪があるわけではありません。自分が育てた社員たちは家族にも等しいと考える出光は「どうして社員の首を切れるものか」と考えるわけです。

 ここでは経営者として自分に厳しい決断を強いているので、出光佐三の「首を切らない」という考え方は社会主義や親方日の丸的な思想とは違います。

 小説では、彼が首切りを踏みとどまったことで社員が奮起し、逆転劇が始まるところが物語の見せ場にもなりましたが、これは「ここ一番」という時の経営者の決断の大切さを伝える逸話になっています。この時に出光氏の信念が本物かどうかを試され、「それが本物だったんだ」と社員にも知られ、社内に経営理念が共有されたのだと思います。

 四半期決算だけを見て短期的な利益だけを追いかける発想ではこういう考え方は出てこないので、出光氏の人生と事業を見ると、現代の企業経営の足らざるところを考えさせられてしまいます。

 出光氏の思想の真逆にあるのは、マキャベリの『君主論』のような考え方です。

「愛されるよりは恐れられるほうが、はるかに安全である」「人間はもともとよこしまなものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち立ち切ってしまう」(池田廉訳『君主論』P98~99)

 こうした発想から、目的のためには手段を選ばない策謀がいろいろと出てきます。

 組織経営では、本に書けないような嫌な話が連発し、人間の悪を見せつけられるので、現実にはマキャベリ的な悪の論理と無縁に生きることは困難です。 時と場合によっては首切りもやむなし、というシチュエーションも起こり得ます。

 しかし、短期的な利益至上主義や、マキャベリズムだけでは説明できない人間の可能性を教えてくれた人物として、今回の映画を通して出光佐三がもう一度甦ることは、今後の日本にとっての朗報なのかもしれません。