トランプ政権と日本・アジア 2017

米国株や為替に影響する時事問題を中心に政治動向をウォッチ。今さら聞けない常識も再確認。

イスラム国VS米英仏、イラク、クルド人、ベシュメルガ モスルからラッカ制圧へ

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(バグダッド空港の風景 出所はWIKIパブリックドメイン画像)

  ISIL(「イスラム国」)が支配するイラク第二の都モスルでは、現在、欧米軍の空爆の援護を受けながら、イラク軍とクルド人部隊「ペシュメルガ」が激しい戦闘を続けています。モスルでの抵抗は激しく、もうしばらく戦いが続く見通しですが、7日に、拘束された日本人ジャーナリストが解放されたことが報道されました。

 支配地域での取材経験がある日本人ジャーナリストの常岡浩介さんはISとの関係を疑われ、10月下旬にクルド自治区で治安当局に拘束されていたのですが、常岡さんは7日に解放されました(情報出所は外務省関係者)。

(読売新聞「クルド自治区で拘束の常岡浩介さん解放…帰国へ」2016年11月7日)

常岡さんは10月下旬、イスラム過激派組織「イスラム国」との関係を疑われ、自治区内で当局に拘束されたが、事情聴取の結果、国外退去処分となった。自治区の中心都市アルビルの空港で7日、在イラク日本大使館の職員に引き渡されたという。

 日本人の命が救われたのはよいことですが、ところで、このモスル奪還の戦いと、昨日に始まったISの「首都」ラッカの攻略戦の行方はどうなるのでしょうか。

「そもそもモスル、ラッカってどこ?」という人のために

 中東関係のニュースは、地名と場所がなかなか覚えにくくて困ります。高校時代に世界史を習った時、カタカナの名前がなかなか覚えられずに苦労した方もいらっしゃると思いますが、中東のニュースには、結構、これがつきまとうのです。

 バグダッド、ラマディ、モスル、ラッカ・・・いろいろな街の名前が出てきますが、筆者も「どこ」と聞かれると、地図がないと答えられないレベルです。

 国境線は崩壊中ですが、一応、バグダッド、ラマディ、モスルはイラクの中にあり、ラッカはシリアの中にあります。

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(出所はウィキメディアコモンズ パブリックドメイン画像 日本語は筆者挿入) 

 地図で見ると、モスルはイラク北部の要所で、ラッカはそこから西に進んだシリア領にあります。ISの最大の根拠地はラッカですが、「イスラム国」ができた時、まずはモスルを制圧し、次にラマディまで落としてきたので、イラクは「次はバグダッドか!」と大騒ぎになったわけです。

「イスラム国」の侵攻過程とイラク、欧米陣営の反撃

 一応、「イスラム国」ができた経緯をおさらいすると、ISはまずはシリアで勢力を拡大し、13年末にはイラク西部で活動を展開します。そして、14年1月にはイラクのラマディやファルージャを制圧し、3月にはサマラを制しました。そして、世界に衝撃が走ったのは、2014年6月のイラク第二の都市モスルの占領です。

 イラクはモスルに3万人もの軍を展開していたのですが、IS側はわずか1000名余り。装備もイラク側は戦車や野砲、装甲車などで完全武装なので、普通は負けるはずがない戦いでした。

 しかし、イラク軍の士気は低く、同じ宗派(スンニ派)同士で戦うことを嫌がった兵士などが逃亡してしまい、戦闘意欲旺盛なISが勝利を収めます。わずか1000名余りの兵で勝ったので、これは彼らの大きな「功績」となり、反イラク勢力、反欧米勢力への大きなPRポイントになりました。一度、勝った功績があるからこそ、海外から参戦する義勇軍?(筆者は半ば傭兵ではと思うのですが)が集まってくるわけです。

 モスルにはイラク中央銀行の支店があり、さらには大量の武器があったので、この戦利品はイスラム国を強化する上で、大きな役割を果たしました。異教徒のヤジディ教徒を弾圧し、奴隷にする等の悪名高い行為が世界に知れ渡るのも、この頃です。

 イスラム国の人質殺害などが起きて、アメリカは14年8月にやっと重い腰を上げて空爆を開始。その後、イラク軍とクルド人武装勢力を援護しながら、15年の終わり頃から、その反転攻勢が実を結び始めました。2015年12月にはラマディを奪還し、2016年10月にはモスル奪還戦を開始し、11月にはラッカ奪還戦の火ぶたが切られたのです。

スンニ派?シーア派? 何それ?

 中東のニュースでは、日本人になじみのない単語が連発されるので、わけがわからんと思う人も少なくないでしょう。

 そもそも、スンニ派とかシーア派とか言われても、その違いをきちんと説明できる人は、日本人ではあまり多くありません。

 そこで、中東ニュースを読むために必要な単語をざっと説明してみます。

 イラクとイランの違いを理解する上では、まず、アラビア人とペルシア人の違いを理解する必要があります。

 ペルシア人はイランにたくさん住んでおり、この人たちはペルシア語を話します。どんな民族かと言えば、世界史に出てくるアケメネス朝ペルシャとかササン朝ペルシャなどの大帝国を築いた民族です。映画『300』(スリーハンドレッド)に出てくるペルシア帝国をつくった民族なのです。

 『300』や『アレクサンダー』等の映画ではペルシャ人が色黒に描かれていますが、ペルシャ人はヨーロッパ人と同じアーリア民族なので、そんなに色黒ではありません。肌の白い赤ん坊が生れたりする民族です(日焼け、混血はありますが)。

 一方、アラブ人はアラビア半島や西アジア、北アフリカのあたりに住み、アラビア語を話します。イランの東側にあるイラク、クウェート、シリア、ヨルダン、レバノンはアラブ系の国々です。アラビア半島や北アフリカの国々の多くもアラビア人の国です。

(※なお、トルコ、アフガニスタンはイスラム教国家だが、アラブ人ではない)

 というわけで、まずはイランとイラクは民族が違います。

 そして、同じイスラム教徒でも、ペルシア人の多くはシーア派を信じ、アラブ人の多くはスンニー派を信じています。この両派は後継者問題が原因で分かれました。

 イスラム教を立てたのはサウジアラビアで隊商をしていたムハンマドですが、ムハンマドは15歳年上の裕福な未亡人ハディージャと結婚し、二男四女を抱えた働き盛りの中堅男性でした(二人の男子は成人前に死ぬ)。

 ムハンマドは戦争に勝ってイスラム教国家をつくるのですが、その死後、ムハンマドの従弟アリーを四代目のカリフ(承継者/代理者)にするかどうかを巡って、二派に分裂してしまったのです。
 632年にムハンマドが死ぬと、義理の父であるアブー・バクルが初代カリフ(教えの後継者のこと)となりました。初代でアラビア半島の統一を達成。

 634年に二代目となったウマルが、東ローマ帝国の軍勢を破り、シリアやイラク、エジプトなどへ遠征軍を派遣。三代目のウスマーン(在位644-656)がイランのあたりまで支配。このウスマーンが暗殺され、四代目にムハンマドの従弟アリー(600-661)をつけるかどうかでもめるのです。

 アリーはムハンマドと同じ家系(ハーシム家)でしたが、三代目のウスマーンはもともと、メッカでムハンマドと対立していた家系(ウマイヤ家)でした。初代と二代目はムハンマドの叔父。三代目のウスマーンはウマイヤ家からイスラム教徒に入ってメッカ統治を支えた人ですから、素性が違うわけです。

 ウスマーン暗殺後、ウマイヤ家のムアーウィヤ(シリア総督603-680)はハーシム家にカリフの座を渡すものかと憤り、アリーが後継者となることを認めなかったのです。結局、ムアーウィヤがアリーに勝ち、こちらがウマイヤ朝を築きます。この流れを引いているのがスンニー派。「ムハンマドの従弟アリーこそが正当な後継者だ」と考える人々は、「シーア派」です。

 もともと、イラクはスンニ派人口が多いのですが、フセイン政権崩壊後はシーア派が増えています。シーア派はイランに根付き、今の「イラン・イスラム共和国」をつくっているわけです。

ISとの戦いに熱心なシーア派とクルド人 イラク正規軍は意外と脆弱

 このIS(「イスラム国」)はスンニ派の過激な集団なので、この勢力との戦いに熱心なのは、シーア派のイラク人や、クルド人などです。

 クルド人はトルコ、イラク、イラン、シリアの国境地帯を越えて居住している中東の先住民族であり、約3000万人もの人口があるのに、いまだ国がありません。どうしてこのISとの戦いに熱心なのかというと、恐らくは、ISを掃討後、欧米の後押しを得て自分たちの国を築きたいのだろうと思います。

 シーア派とクルド人には、それぞれ戦う理由が明確です。シーア派にとっては異教徒との戦いですし、クルド人にとっては民族の地位を上げるための戦いです。

 ところが、イラク軍には同じスンニ派どうしで戦いたくない、という兵士が多かったので、戦意が上がらず、やたらと戦線崩壊をきたしていたわけです。

 2015年6月の段階でも、ロイター通信記事で、ISがイラク軍を破り、装甲車(ハンビー)2300台、米軍の主力戦車M1A1を40台、M198榴弾砲を約50基、機関銃74000丁を奪取した事例等が報道されていました

コラム:イスラム国を強大化させる米武器供与の「誤算」2015年6月4日)

イラク軍はモスルに兵力3万人を集結させていたが、イスラム国の戦闘員約1000人を前に退散した。数週間前にはラマディでも同じことが起きた。イスラム国の戦闘員はわずか400人だったにもかかわらず、1万人のイラク軍兵士は雨に濡れる段ボール箱のごとく簡単につぶれてしまった。

 M1A1戦車はイラク戦争の時に砂漠や街路を走っていた米軍戦車です。イラク軍は近代兵器を残して逃亡し、こんなに危ない武器をプレゼントしてしまいました。

モスル奪回戦の諸相 ISは地下にこもって持久戦を狙うらしい

 予備知識の話が多すぎたかもしれません。ここでやっと本題に入りました。

 昨日夜頃に流れたニュースではモスル市内でのIS側の抵抗の激しさが報道されていました。下記記事によれば、イラク軍とクルド人部隊はモスル北東部や南部では有利に戦闘を進めたものの、市街戦では苦戦しているようです。

(NHKニュースWEB「モスル奪還作戦から3週間 周辺は優位も市内は苦戦」11月7日)

「すでに今月1日に市内に入ったイラク軍の部隊は、東側の地区を一部制圧していますが、自爆攻撃などのISの激しい抵抗に遭い、中心部への進軍が阻まれていて、市内の戦闘では苦戦を強いられています」

  要するに、ISはモスル周辺を半ば放棄しており、市内で抵抗しているわけです。では、どう抵抗しているのでしょうか。

(CNN「モスル奪還作戦、市東部で激戦 ISISが激しい抵抗」2016.11.06)

「3万人規模のイラク軍部隊には、中部ファルージャや西部ラマディの奪還作戦に参加した精鋭部隊のメンバーも含まれている。しかしかつてほどの強さはなく、能力は部隊によってばらつきがある」「市街戦では通信能力の不備も大きな問題となる。ある部隊の報道担当者によると、戦場に出ている大半の部隊は本部と直接連絡が取れない状態だという」

「ISISはモスルを制圧した2年前から防御態勢を固めてきた。地形を熟知したうえでトンネルを張り巡らせ、建物に爆弾を仕掛けるなどして徹底抗戦を図る。米軍当局者の推定によると、モスル市内に展開するISIS戦闘員は3000~5000人。さらに市境界の外側で1500~2000人が待機しているとみられる」「広い場所で交戦して空爆の標的になる事態を避けるため、人口密集地でイラクを待ち受けて攻撃を仕掛ける」

 これは、圧倒的な戦力差がある時、持久戦をしかけるための戦い方です。日本軍が米軍をペリリュー島や沖縄で迎え撃つ時も、 トンネルの下に潜み、迎撃戦を展開しました。ベトナム陸軍も地下トンネルをつくって米軍を撃退しています。

 日本陸軍やベトナム陸軍ほどの練度がISの軍隊にあるかどうかは分かりませんが、これは地下に潜むことで爆撃をやりすごしながら、敵軍の優れた兵器を使いにくくする戦い方です。

 このニュース記事の現場報告を見てみます。

「市民を「人間の盾」として使う作戦で攻撃をかわす。死を覚悟した戦闘員らが建物の陰から軍車両の目の前に飛び出し、ロケット弾を撃ってくる。市東部一帯にはISISが爆弾を仕掛けた車も点在している」

「モスルはイスラム教スンニ派のアラブ人が多数を占める都市だが、イラク軍側の部隊はイスラム教シーア派が中心。同市を訪れたことさえない兵士がほとんどだ」

「4日には東部のある地区で15台の車列が待ち伏せ攻撃に遭い、三方から銃撃を受けた。地区を通過することができたのは3台だけだった。派遣された援軍は約2キロの距離を進むのに8時間かかった末、やはり待ち伏せ攻撃を受けて立ち往生した」

 なかなか内部に入り込めず、苦戦しているという話です。ただ、モスル周辺を制圧し、補給路を断絶すれば、IS軍の持久戦もどこかで限界に来るのではないでしょうか(秘密の地下トンネルがどこかに通じていて、補給物資が入ってくるというのなら話は別ですが・・・)。

 日経電子版の記事(「イラク、モスル内に進軍 「イスラム国」と市街戦へ」2016/11/1)でも、モスル奪回勢力は補給を断つ作戦を展開していると書かれています。

「イラク軍はクルド自治政府の治安部隊などとともに10月17日にモスル奪還に向けた作戦を始め、周辺の集落を相次いで制圧した」「モスル西方ではシーア派民兵が29日、要衝タルアファルをISから奪還するため本格的に参戦した。ISが「首都」と称するシリアのラッカとモスルを結ぶ補給路や退路を断つ狙いだ」

 当分は、IS軍の激しい抵抗にイラク軍やクルド人勢力は苦戦しそうですが、もともとの戦力差を考えれば、モスル奪回の実現はそんなに先の話ではないのかもしれません。

ラッカ攻略戦も始まっている。

 現在、モスル奪回後を視野に入れ、ISの首都ラッカ攻略戦も開始されています。

( AFP通信「クルド系組織、ISの「首都」ラッカ攻略戦開始 モスル解放と並行」2016年11月07日)

【11月7日 AFP】シリアの少数民族クルド人主体の武装組織「シリア民主軍(SDF)」は6日、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置付ける北部ラッカ(Raqa)の解放に向けた攻撃を開始したと発表した。ISに対してはイラクでも最大・最後の拠点モスル(Mosul)の奪還を同国軍などが進めており、米軍などの支援を受ける反IS勢力が同時並行で2大拠点の攻略に乗り出した形だ。

 戦闘員は約3万人ほどで攻略戦を挑むようです。カーター米国防長官は「モスルの場合と同様、戦いは容易ではなく、難しい仕事になる」と述べたことも、同記事で紹介されています。

 果たして、このIS攻略戦が成功し、次の世代のイラクとシリアの政治の見取り図が示されるのかどうか。

 ISを倒しても、しぶとく粘るアサド政権、クルド人勢力の動向(国家建設が認められるかどうか)、イランの勢力拡大、トルコの野心など、複雑な問題が山積みです。

 戦後体制まで考えると、本当の問題解決までの道のりはまだ遠いと言えます。