トランプ政権と日本・アジア 2017

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アウンサン・スーチー氏が来日 その経歴とミャンマー民主化までの歩みとは

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(ヤンゴン市庁舎 出所はWIKIパブリックドメイン画像)

  ミャンマー民主化の象徴でもあるスーチー国家顧問兼外相が11月1日に来日。2日には安倍首相と会談しました。

 先月に来日したドゥテルテ氏とは違い、スーチー氏は人権(特に参政権)の大切さを訴えた政治家なので、どちらも国民に支持されていますが、指導者としては対照的な個性のようにも思えます。
 ドゥテルテ氏は検事から市長となり、実務家として経歴を重ねましたが、スーチー氏はインドへ留学後、渡英してオックスフォード大で学び、研究者となります。そして、80年代末に帰国して民主化運動の指導者になります。
 野性味が売りのドゥテルテ氏とは違い、スーチー氏はインテリ的な言論力を武器にして民主化運動を引っ張ってきたように見えます。
 今回は、まず、来日したスーチー氏はどんな人なのかを、経歴から追ってみたいと思います。

独立後のミャンマーが軍政になるまで

 まずは、スーチー氏が民主化運動の指導者になるまでの経緯を理解するために、父・アウンサン将軍死後のミャンマーの歴史を振り返ってみます。

 スーチー氏は、ミャンマー(ビルマ)の独立運動を主導し、「建国の父」とも呼ばれるアウンサン将軍の娘として、1945年にラングーン郡のヤンゴンに生まれました。アウンサン将軍は1947年に志半ばで暗殺され、その後、独立運動はウ・ヌ氏に引き継がれます。

 そして、ビルマ連邦は1948年に英国から独立しましたが、多民族社会のビルマでは民族間の衝突が深刻化し、内政は混乱。この時、軍を率いるネ・ウィン大将がクーデターでウ・ヌ政権を1962年に打倒します。
 その後、革命評議会による軍政が行われ、ネ・ウィンはビルマ社会主義計画党をつくり、社会主義的な国家運営を進めました。一党独裁、企業の国有化などが進められ、民主主義だけでなく、経済活動も沈んでいったのです。

アウンサン・スーチー氏の経歴

インド、イギリスに留学し、研究者となる

 スーチー氏の母は看護師をしており、仏教徒の厳しい戒律に基づいた教育を行いました(※ビルマは釈迦教団の伝統を守る上座部仏教〔南伝仏教〕なので、インドから中国に渡り、日本にやってきた大乗仏教〔北伝仏教〕よりも掟が厳しい)

 スーチー氏は母から亡き父の武勇伝等を聞き、「自分は独立の父の娘なんだ」という自覚を強めました。そして、1960年に母親とともにインドに留学します。デリー大学で政治学を専攻し、この頃にネルー首相やガンジーの思想に影響を受けました。

 その後、1964年にイギリスのオックスフォードに留学。哲学・政治学・経済学を専攻し、研究者としてキャリアを積み重ねていきました。
 この頃に国連の試験に受かり、国連スタッフとしても働きました。そして、1972年にオックスフォード大学の研究者と結婚し、1985年には京都大学東南アジア研究所研究員となります。1987年にはロンドン大学でアジア・アフリカ研究所にも在籍しているので、幅広く欧米やアジアについて理解を深める機会を得ています。
 こうした経歴を見ると「日本についても詳しいのか?」という疑問が出てきますが、その日本語力は、三島由紀夫氏の小説を読めるほどの水準なのだそうです。

※WEDGE「アウンサンスーチーをめぐる誤解 その背景とは」根本敬(上智大学総合グローバル学部教授)2016年1月15日 

彼女はまた、1980年代に2年間、英国のオクスフォード大学で日本語を学び、漢字を1000字以上習得して三島由紀夫の小説を日本語で読めるまでになり、その後、1985年から86年にかけて京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア研究所)に訪問研究員として滞在している。研究テーマは大戦中の日本‐ビルマ関係史で、滞在中、父アウンサン将軍(1915-47)と戦時中に交流した旧日本軍関係者への聞き取りをおこなっている。

 スーチーさんは父アウンサン将軍のことを詳しく知るために日本語を学びました。日本についての関心はそれなりに深いようです。以前、来日した時に英語で記者会見をしたのは、やはり、政治的メッセージを語る上では、話し慣れた英語のほうがよかったからなのでしょう。スーチーさんの日本語を聞いてみたいものではありますが・・・。 

民主化運動のリーダーになり、軍政と戦う

 その後、1988年に母親の病気を契機に帰国し、スーチー氏は運命の嵐の中に巻き込まれます。この時、民主化運動に参加し、その指導者となったのです。
 スーチー氏は1988年9月に国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任しました。
 当然、軍政から見れば不穏分子なので、1989年7月には「国家防御法違反」で自宅軟禁とされます。
 スーチー氏が民主化運動を始めたのは、ちょうど、ソ連で自由化が始まり、東欧の社会主義国が崩壊し、中国でも天安門事件等の民主化運動が起き、台湾が民主化する時期とも重なっています。
 その後、1991年3月には総書記を解任されますが、これを励ますべく、1991年10月にノルウェーからノーベル平和賞が贈られました。その後、自宅軟禁になったり解除されたりの繰返しが続きます。

(※以下、外務省HP「アウン・サン・スー・チー・ミャンマー国民民主連盟(NLD)議長略歴」)

  • 1995年7月:自宅軟禁解除
  • 2000年9月:当局により地方訪問を阻止され自宅軟禁
  • 2002年5月:自宅軟禁解除
  • 2003年5月:地方遊説中、当局により拘束下に置かれ、同年9月28日より自宅軟禁
  • 2009年5月:米国人自宅侵入事件で禁固3年。政府の特別措置で刑期を1年半に短縮、自宅軟禁措置に変更。
  • 2010年11月: 自宅軟禁解除

 国民民主連盟(NLD)の書記長でしたが、スーチーさんは、この20年間のうち14年以上を獄中や自宅軟禁下で過ごしています。
 自宅軟禁とその解除の繰り返しを経て、2011年8月にテイン・セイン大統領と会談後、2012年1月に国民民主連盟(NLD)議長に就任しました。その後、2012年4月の議会補欠選に立候補し、当選しています。
 同年4月の補欠選では45議席中43議席をNLDが獲得。アウンサンスーチー氏も当選しました。その後、海外訪問を繰り返し、2013年5月には来日もしています。

スーチー氏の役職「国家顧問」って何だ?

 スーチー氏は、現在、ミャンマーの「国家顧問」をしています。
 「何だそれ?」という方もいるかもしれませんが、ミャンマーの憲法では外国籍の親族のいる人物は大統領になれないので、2人の息子が英国籍のスーチー氏は大統領になれず、国家顧問をしているのです(今の大統領はスーチー氏の幼馴染のテイン・チョー氏)。スーチー氏は12年から連邦議会人民代表院議員を務め、2016年3月~4月には教育相やエネルギー相も務めてもいます。 

スーチー氏が訪日するまでの2016年のミャンマー外交

 軍政から民政への転換をとげたミャンマーでは、本年、どのような外交活動を行ってきたのでしょうか。ミャンマー国内の変化も踏まえて、最近の動きを整理してみます。

ミャンマーで新大統領(テイン・チョー氏)選出(2016/3/30)

 2015年11月に総選挙でスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、16年2月には新議会が召集されました。

 そして、3月15日にテイン・チョー氏(この人はスーチー氏の側近)が大統領に選ばれ、スーチー氏は4月に国家顧問となりました。当初は四閣僚を兼務していたのですが、多すぎるためか、その後、外相や大統領府相兼務へと数を減らします。この新政権発足に伴い、大統領の恩赦で軍政時代に服役していた政治犯が釈放されました(釈放されたのは学生運動家199人や政治犯ら83人)。

 普通、総選挙で大勝したら、最大政党の代表が大統領になりますが、ミャンマーでは軍政時代にできた憲法が「親族に外国籍者がいる者」に大統領になる資格を認めていないので、スーチー氏は「国家顧問」という役職で事実上の最高指導者となっています。

 外相を兼ねたスーチー氏は、4月22日に首都ネピドーにて各国の外交団を招き「全ての国と友好関係を構築する」と述べました。

「それって八方美人ってこと?」と思われた方もいるかもしれませんが、軍政時代のミャンマーは欧米諸国からは睨まれており、近隣の中国に外交の比重が傾いていたので、これは、その緩和を狙った発言です。

アメリカがミャンマーへの制裁を解除

 アメリカはミャンマーの軍事政権とつながりが深い企業を制裁リストに入れ、アメリカ人やアメリカ企業との取引を禁じてきましたが、スーチー氏率いる新政権発足の後、銀行3社を含む国有企業10社を制裁リストから外しました。

 そして、5月22日にはケリー米国務長官がミャンマーを訪問し、スーチー氏と会談。ミャンマーの民主化を後押ししました。

 この頃、日本の岸田外相も5月3日にミャンマー入りし、外相を兼ねているスーチー氏との会談を行い、日本がミャンマー民主化を全面支援することを伝えました。

 そして、9月14日には、オバマ大統領がホワイトハウスでスーチー氏と会談し、1997年から続く経済制裁の解除を伝えました(軍および軍関係者支援と取引、査証発給制限は残る)。途上国からの輸入関税を減免する「一般特恵関税制度」もミャンマーに適用される方針です(日経電子版「オバマ氏、スー・チー氏と会談 ミャンマー制裁解除へ 民主化や米投資、後押し」2016.9.16)

 オバマ政権は、人権問題を引き起こすドゥテルテ氏は大嫌いですが、人権と民主主義の擁護を訴えるスーチー氏には非常に好意的な外交を進めています。

スーチー氏訪中 李国強首相と会談(2016/8/17~21)

 ミャンマーが民政移行後、日米とのつながりを深めるようになったので、中国はスーチー氏に訪中を要請し、8月にスーチー氏が中国を訪問することになりました。

 中国が進める陸と海のシルクロード構想(一帯一路)にミャンマーも協力することが合意されたのですが、重要な懸案事項であるミャンマー北部の巨大ダム建設に関してはスーチー氏はシビアな返答でした。

 テイン・セイン前政権の頃に、ミャンマー北部ミッソンで巨大ダムと水力発電所が中国主導で建設が進められていたのですが、「電力の9割を中国に送れ」という現地を無視した計画が浮上したので、前政権はこの事業の凍結を決断しました。

 李首相はこの事業開発の再開を要望しましたが、スーチー氏はダム建設に関して再調査委員会の報告を待つと答え、はぐらかしたのです。

 ミャンマーにとって中国は危険な隣国ですが、貿易額で見れば最も多い国なので、スーチー氏としてはむげにもできなかったという事情もあるのでしょう。

外国企業への門戸開放 日本企業との連携も進む

 スーチー氏率いる新政権は「メイド・イン・ミャンマー」政策を進めています。

 JETROは「2015年度のミャンマーへの外国直接投資額はおよそ95億ドルに達し、2011年の民政化以降最大となった」と述べています(そのうち、石油・ガスへの投資が48億ドル。国別ではシンガポールが42億ドル)。

 ミャンマー企業と提携している代表的な日本企業は、JFEエンジニアリング(橋梁事業関連)、日立製作所グループ(変圧器生産等)、キリンホールディングス(ビール製造)、IHI(コンクリート製品事業)、三菱商事(食品事業への出資)、王子ホールディングス(ゴム製材品の合弁工場を稼働)などですが、ミャンマーは東南アジアで最も安い賃金と地の利(中国とインド、東南アジアに近い)を活かし、インド洋までを視野に入れた輸出拠点となることを期待されているのです(日経朝刊9面:2016/5/17)。

 日本経済新聞社の取材でミャンマーの外国投資許認可担当者が述べた話によれば、ミャンマー政府も2016年内に外資規制を緩和し、今後、外国企業の出資比率が35%未満の企業を「国内企業」と扱い、より自由な経済活動を営めるようにする方針です(35%未満のミャンマー国内企業の株式取得、土地の長期利用の認可を容易化する)。

 民生転換後、外資企業にも門戸が開かれたことで、2年前に一割程度だったミャンマーの携帯電話の普及率は2016年内に100%に達するとも予測され、第四世代(4G)携帯の利用も進んでいるともいわれています(日経朝刊9面:2016/7/26)。

 そして、カード決済もミャンマーで進みつつあり、同国でのカード枚数は18年末には180万枚になると見こまれ、JCBや中国銀聯もミャンマーへの参入を表明しました(日経朝刊9面:2016/8/17)。

 日本政府は、鉄道や水道等のインフラ整備のため、ミャンマーに約1千億円の円借款を新しく供与する方針を本年8月に固めています。

 安倍首相はASEAN関連首脳会議でラオスを訪問した時(9月7日)、以下のように述べました(外務省HP:安倍総理大臣とアウン・サン・スー・チー・ミャンマー国家最高顧問との会談

ミャンマーの発展のために死活的に重要なティラワ開発が着実に進展していることは大変喜ばしく,既に39の邦人企業が進出しており,急増する電力需要への対策,また,ミャンマーの放送事業者と連携した日本コンテンツの配信に協力していきたい

11月2日にスーチー氏は安倍首相と会談

  11月2日に安倍首相とアウンサンスーチー国家顧問兼外相が会談し、日本から5年間で8000億円規模の支援を行うことが決まりました。

 ミャンマーは日本にとって大事な親日国ですが、先月に来日したフィリピンのドゥテルテ大統領とのやりとりに比べると、ずいぶんと破格の扱いのような気もします。

首相・スーチー氏会談 共同記者発表の要旨」2016年11月2日)

安倍首相「日本にとってミャンマーは基本的価値を共有するパートナーだ。国民和解への貢献として少数民族地域へ5年間で計400億円の支援を行うなど、官民合わせて5年間で8000億円規模の貢献をする」

スーチー氏「和平進展、都市部と地方部の均衡ある発展、格差をなくすために8000億円の支援をいただけると聞いている。これらは我々の平和構築、国家の発展に資するものと期待している」

 今後、日本の関係はもっと強化され、ミャンマーが中国に替わる生産拠点となるのかもしれません。東京ではコンビニのアルバイト店員に東南アジアの方が増えてきていますが、今後、もっとミャンマーの人が日本にやって来るのではないでしょうか。

最後に、スーチー氏の著作から名言を10個選んでみる

日本に関心の深いスーチー氏 仏教にも理解が深い

 もともとスーチー氏の父・アウンサン将軍は日本軍とともに独立運動をしていたので(途中から路線が変わりましたが)、スーチー氏は父の人生を理解すべく、日本語も熱心に勉強していました。京都大学で研究員をしていましたし、日本語原文で三島由紀夫の小説を読んでいたそうです。

 そして、長い自宅軟禁を耐えたスーチー氏は、東日本大震災の時、被災者に以下のようなメッセージを贈っています。

「耐える、と一言で言いますが、これはそんなに簡単なことではありませんし、個人では限界があります。だからこそ人々との”和”が重要になってくるのです」(アウンサンスーチー述『絆こそ、希望の道しるべ』P9)

 和をもって貴しとなす、という聖徳太子の言葉を知っていたのかもしれませんが、十何年も軍政と対決し、自宅軟禁をしてきたスーチー氏が言うと説得力があります。

 ビルマは仏教徒の国なので、スーチー氏の演説集を見ると、政治集会の参加者に仏教の徳目(戒めや慈悲等)の大切さを呼びかける言葉がかなり多く、読んでいると政治本なのに自己啓発の本を読んでいるかのような気持ちになります。

 こういうタイプの政治家は今の日本や欧米にはあまりいません。

『アウンサンスーチー演説集』では、その模範はインドのガンジーだと書かれています。インドに留学し、その頃に学んだことが政治活動にも活かされているのでしょう。

「私たちが権力への反抗ということで、思い描いているのは、インドの偉大な指導者マハトマ・ガンディーです」「私が言っている権力への反抗も、騒乱を起こすのではなく、穏やかに規律をもって、平和的な手段で、侵すべからざる国民の諸権利を獲得するために、不当な命令・権力に反抗していくということです」(P221)

真の民主主義と「〇〇国に見合った民主主義」の違いとは

『アウンサンスーチー演説集』の中にある軍政を批判した言葉を見ると、これは民主主義や人権を抑圧する他の国々にも当てはまる話だな~と思える言葉がありました。

「現在は、真の民主主義という言葉の代わりに、ミャンマー国に見合った民主主義という言葉を使わなければならないのだと、ある集団が言っているのを耳にします。このように真の民主主義と言わず、ミャンマー国に見合った民主主義と言わなければならないというのは、きわめて危険な考え方です」「ミャンマー国民は民主主義に値しないから、ミャンマー国民に見合った民主主義のみが与えられなければならないのだと言っていることにもなりかねません」P203

 中国に見合った民主主義、北朝鮮に見合った民主主義などと色々な言い方はできます。例えば、香港で雨傘革命が起きましたが、それを抑圧する側のほうは香港人に見合った民主主義で十分だと考えているのだと思います。

 こういうロジックはどんな国でも使われうるので、警戒が必要でしょう。

スーチー氏の人柄が分かる格言や本人の発言など

 アウンサンスーチー述『絆こそ、希望の道しるべ』という読みやすい本が出ていますが、これを見ると、スーチー氏が大事にしている考え方がよく分かります。

【ミャンマーの格言】

「毎日、疑問や問いかけをもちなさい。そうすれば必ず答えに到達できる」

「いつも注意深く、だらだらと寝過ごさないで人生を送りなさい。それが必ず長生きにつながるから」(P32) 

 ⇒筆者には耳が痛い言葉です。だらだらと寝過ごしてばかりいますので。 

【アウンサン将軍(父)の言葉】

「常に自分自身を改善せよ。それが健全で洗練された精神を育てる」(P44)

【スーチー氏の母、キンチーさんの言葉】

「過去にとらわれている暇などない。人の未来は現在の行為によって決まる」(P46)

 ⇒ご両親も立派な人柄だったようです。

 

  そして、スーチー氏は自分は何のために生きているのか。死ぬまでに何を成し遂げるべきなのかを自宅軟禁の時代に真剣に考えていました。

「真実を認めるには勇気が必要です・・・恐怖のために精神不安にならないためには、さらに強い勇気が必要です。そのためには、あなたが生きている目的とはなにか、ということと真剣に向き合わなければなりません」(P76)

  ほかの本に収録されたスーチー氏の手紙を見ると、スーチー氏が亡き夫と共に大事にしている詩が載っていました。いつ命が終わるか分からない環境で戦っていたので、「今を真剣に生きる」という話がけっこう多いように思います。

「昨日はただの夢であり、明日は予感にすぎない 

 今日をしっかり生きたらば 昨日という日は理想となり、明日という日に希望を抱く

 だから、今日と精いっぱい向き合おう」

(インドの詩人カーリダーサ作『暁への賛歌』の一節。アウンサンスーチー『ビルマからの手紙』P133)

 スーチー氏にとっての「戦い」とは?

 そして、ガンジーを模範にしたせいか、民主化運動の闘士でありながら、非常に内省的な言葉が多いようです。以下、『アウンサンスーチー演説集』からの抜粋ですが、政治闘争の中でも自分が仏教徒であることを忘れない人柄がうかがえます。

「自分の寿命を好き勝手にすることはできません。私たちが支配できるのは、自分の心だけです」(P182)

 「自分の人生を自分が決めるということは、自分の心に自分が打ち勝つことです。自分の心を自分で支配することができない人間は、自分の人生すら自分で決定できず、他の点でいかに幸せであろうと、私たちのためには、利するところはありません」(P182)

 「自分の恐れという感情すら、自分で拭い去ることができないのに、私たちはどうして他人に打ち勝つことができましょう」(P182)

  毎日、自分の怠け心に負けている筆者にとっては、非常に身につまされる言葉ですが、スーチー氏の場合は、単に外部の敵と戦うだけでなく、自分自身と戦っていた姿が、ビルマ人の心を捉えたのかもしれません。

 そして、次の言葉は秀逸。

 「自分の国を愛していると言っておきながら、家のなかで座っているわけにはいきません」(P208)

  昼寝ばかりしている愛国者はいないぞ、というわけです。

 ひねくれた筆者は「どうせよくある人気取り政治家なんじゃね?」と思ってスーチー氏の発言を今日、初めて調べたのですが、内容を見て、予想外の感銘を受けました。

 自己啓発本が好きな人なら、きっとスーチー氏の本や発言は、気に入っていただけるのではないかと思います。